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LT21-12-11人生を豊かに変える恵み!

  • 執筆者の写真: 耕司 大平
    耕司 大平
  • 2021年12月11日
  • 読了時間: 7分

2021年12月11日(土)「人生を豊かに変える恵み!」 LT(Loving Time)大平耕司

 私の37歳までの人生は、ずっと父への憎しみに支配されていました。父は、お酒に酔うと何をしでかすか分からないほどの酒乱で、よく母に暴力を振るいました。母の髪の毛をつかんでは部屋の壁に何度もたたきつけたり、畳に倒れた母の頭をかかとで踏みつけたうえ、仰向けにして顔面を蹴ったり、死んでしまうのではないかと思うほど本気で首を絞めたりもしました。・・「いっそあんな父親、殺してしまいたい」「もう、死んでしまいたい」。子ども心にそんなことを真剣に考えました。・・・早く大人になって、父から独立したい。少しでも自分に力をつけて、母を守っていけるようになりたい。決して、父のような人間にだけはなるまい。・・・それだけが、私の生きる支えでした。大学進学以降、両親のいる富山を離れ、東京に住んだ私でしたが、たとえ距離がどんなに遠く離れても、父の存在は絶えず私の人生に影を落とし、父への憎しみは、かえって私の心を、父のもとに縛りつける結果となりました。・・結婚後、主人の海外留学に伴い、二年間アメリカに住んだことによって、私たち夫婦は多くのクリスチャンに出会い、イエス・キリストのことも聞きました。クリスチャンの友人たちには特別な魅力を感じていたものの、一方で、「赦し」に関する聖書のことばに触れると、私はいつも固く心を閉ざしました。夫婦ともに信仰をもったのは、それから九年も後の事でした。「神様にほめられこそすれ、赦されなければならない罪なんて自分にあるはずがない」「あんな悪党のような父を憎まないほうが正義に反するではないか」、そう思えたのでした。・・その後、筋萎縮性側索硬化症(ALS)という、筋肉の麻痺が進行する病気を患った父は、働きながら介護をする母を、虐待するようになりました。暴言、つば、汚物・・追い詰められた母は、ある日突然、胃の不調を訴え、検査した時はすでに末期の胃がんでした。ところが父は、母の入院中にも、「俺のことはどうする気か?病室を教えなければ、殺しに行くぞ」などと、病棟にまで電話をかけ、心理的な脅迫を続けました。私はついに、父に内緒で、母を富山から連れ出し、私の住む千葉の家に引き取りました。そのころの父は、車いすもつらいほどの状態でしたが、私は心底、父を憎みきっていたため、父のことは完全に見捨てて、千葉で母の看病に専念しました。・・父から連日かかって来る深夜の無言電話。私はそのたびに、迷惑電話防止機能つきの電話機に買い替えたり、警察に相談したり、あらゆる手段を尽くして戦いました。父は父で、そのころはもう寝たきりになって、富山の病院に入院していたのですが、そこでも「あんな娘は、娘じゃない!」と言って、看護師さんたちに泣き叫び、暴れ続けていたようです。・・・私はずっと、自分が正しい、自分には1パーセントの非もない、と思っていました。ところが、いくら正義を振りかざして戦っても、事態は悪くなるばかりです。こちらが強硬な態度に出れば出るほど、向こうはさらに、激しい怒りと憎しみを燃え上がらせて、攻撃的な振る舞いに出てくるのでした。私はもうボロボロでした。そんな折、不思議なことに、クリスチャンの友人たちと再会する機会が次々に与えられ、友人の宣教師夫妻が、余命一カ月と宣言された母を、毎週病院に見舞ってくれるようになりました。夫と私も、友人の勧めで、家の近くの教会に導かれました。すぐに夫が救われ、やがては、私もこれ以上自分の力で頑張るのをやめて、神様が下さる愛と赦しと救いを、ただ素直に受け取りたい、という心境になりました。私が信じた六日後に、母が天に召されました。父に母の死を告げるために、母の棺と共に富山に帰った私は、そこで初めて、人間の思いをはるかに超えた、神様の素晴らしい御業を体験したのです。「何しに来たがよ」。病室に恐る恐る足を踏み入れた私に、父はそう冷たく言い放つと、「いつか元気になったら、お前の家までタクシーで行って野たれ死んでやる」「おらが今生きているのは、お前への復讐の一念だ」等々、今度は延々と恨みつらみの言葉を浴びせかけました。謝るべきは父のほうだと思っていましたが、なぜか図らずも私の口をついて出た言葉は、「今までお母さんの看病を優先して、お父さんを後回しにしてしまって、ごめんなさい。私が悪かったの。赦してね」という、謝罪のことばでした。これには、私自身がいちばん驚きました。本当は、「お母さんが死んだのは、お父さんのせいよ。どうしてくれるの?」と、言いたかったはずでした。でも、その時はなぜか、自分の思いとは全く違う言葉が、口から出てきてしまったのです。その流れで、母を看取ったことも自然に話すことができました。それを聞いたとたん、父が、「俺が悪かった。お前たちを誤解していて、どうか赦してくれ」と泣きじゃくり始めました。その後、母が父宛てに残していたボイスメッセージテープを聞くと、父は泣きに泣きました。それは、「できることなら、自分の手足をあなたにあげたい」というメッセージでした。「サンちゃん(母の愛称)、最期は苦しんだがけ?」。父の口から出た、母を案ずる初めての言葉でした。「イエス様を信じて、最期は本当に幸せそうな顔をして天国に行ったよ」と答えると、「そうか、よかった」と大きくうなずきました。翌日、棺の中の、平安に包まれた母の顔を見た父が、母の顔に触れさせて欲しいと言うので、私は父の手をそっと母のほおの上に置きました。その瞬間、「ああ、本当に冷たくなっとる!サンちゃん、堪忍してや!堪忍してや!」と言って、父はひとしきり泣きました。そして、その場でイエス様を信じて救われました。それから八カ月後のクリスマスの夜、父もまた、天に召されました。

*******マナブックス「地上に輝く星たちⅡ・怖くて仕方なかった父を赦せた 主婦 横田映代(てるよ)」より*****

さて、今日私に与えられた聖書のメッセージです。

ヨハネ1章14a、16節『言は肉となって、私たちの間に宿った。私たちはその栄光を見た。・・私たちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを与えられた。』・・・罪に陥った結果、すなわち神の律法(愛、永遠のルール)を犯すことの結果、人類は死と直面する事となりました(創世記2:17、3:19)。それは、人類の永遠の滅びを意味します。しかし、神様は「御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得る」(ヨハネ3:16)ようにと、限りない愛をもってイエス・キリストを遣わされました。そのイエス・キリストの恵みに一番最初に浴したのは、弟子たちでした。その中でも、ヨハネはイエス様の愛に触れ、人生が豊かに変えられた人物でした。彼は、のちの経験にあらわされているような美しい品性を生まれつき持っていたのではありませんでした。その性質の一端をのぞかせる個所があります。イエス様がエルサレムに向かわれる途中、サマリアを通られる時、サマリアの村人たちは、もてなしを拒否しました。その時に、ヤコブとヨハネは、「主よ、お望みなら、天から火を降らせて、彼らを焼き滅ぼしましょうか」と言いました(ルカ9:54)。ヨハネは、『高慢で、身勝手で、名誉欲が強かったばかりではなく、激しい性質で、侮辱されると憤慨した。彼とその兄弟たちは「雷の子」と呼ばれていた』(患難から栄光へ下241頁)とあるとおりです。もちろんペテロもしかり、他の弟子たちもイエス様の満ちあふれる恵みにより人生を変えられました。聖書は、私たちの最初の先祖のアダムが神様の愛を離れ、自己中心という罪に陥り死に支配され、悪魔の奴隷と化した人類に、再び永遠の愛の人生を取り戻される、神様の豊かな恵みへの希望が記されています。冒頭の映代さんも、イエス様の満ちあふれる恵みに浴されて、罪の奴隷へと化した父親、罪の泥沼に陥った母親と自分が救われました。そして、永遠の愛が与えられたのです。何という恵みでしょう。「恵み」とは、イエス様の中にある全知全能の神の知恵、力、愛の総体を指します。私たちのすべてを満たして余りある人生の豊かさを意味しています。クリスマスは粗末な私たちの心に愛が生まれた瞬間なのです.                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      

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