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ちから尽きるまで!

  • 執筆者の写真: 耕司 大平
    耕司 大平
  • 2022年3月12日
  • 読了時間: 6分

2022年3月12日(土) 「ちから尽きるまで!」  LT(Loving Time)大平耕司

フランダース地方の都市アントワープ郊外の小さな農村の、さらに外れに住むアルデネン地方出身の15歳の少年ネロは、正直な寝たきりの祖父ジェバン・ダース老人、忠実な老犬パトラッシュ(黄色の毛並み、立ち耳の大型犬、金物屋にこき使われたあげく捨てられていたところを、ジェバンと幼少のネロに保護され、以来飼育されている)とともに暮らす。ネロは貧しいミルク運搬業で糊口(ここう)をしのぎながらも、いつか画家になることを夢見ており、アントワープの聖母大聖堂の二つの祭壇画を見たいと心に望んでいた。その祭壇画は、もとよりベルギーが世界に誇る17世紀の画家ルーベンスの筆によるもので、見るためには高価な観覧料を必要とするため、貧乏人のネロには叶わぬものであった。

ネロの唯一の親友は、風車小屋の一人娘である12歳の少女アロアであったが、アロアの父であるバース・コゼツは家柄の低いネロのことを快く思わず、遠ざけようとする。さらに冬になったある日、ネロは風車小屋の外縁部と穀物倉庫を全焼する火事(風車と居住区は無事)の放火犯の濡れ衣を着せられた上、新しく街から通い始めたミルク買い取り業者に仕事を奪われ、そしてクリスマスを数日後に控えた日に優しかった祖父を亡くし、楽しいはずのクリスマスの前日に家賃を滞納していた小屋からも追い出されることになってしまった。

クリスマス前日は、街で開かれている絵画コンクールの結果発表日でもあった。倒木に腰掛ける木こりのミシェル老人 を白墨で描いた渾身の力作で応募していたネロは、優勝すればきっと皆に認めてもらえるようになるとコンクールに全ての望みを賭けていたが、結果は落選だった。

傷心のネロは厳しい吹雪の中、村へ向かう道でパトラッシュが見つけた財布を持ち主の風車小屋に届けるが、それは風車小屋一家の全財産であった。ネロはパトラッシュを一家に託すと再び雪夜の闇の中に飛び出して行ってしまう。財布が見つからずに絶望して帰宅したバースは今まで行った数々のひどい仕打ちを悔やみ、翌日ネロの身元を引き受けに行くと決心する。さらに翌日には、コンクールでネロの才能を認めた著名な画家が彼を引き取って養育しようとやって来た。だが、何もかもが既に手遅れだった。

大事な未来を無くしたことで自分の生にも絶望したネロは極寒の吹雪によってその命を奪われ続ける中、最期の力を振り絞って大聖堂へ向かい、パトラッシュもネロを追って風車小屋から大聖堂へ駆けつける。するとこの時、雲間から射した一筋の月光が祭壇画を照らし出し、ネロの念願は果たされるとともにネロは神に感謝の祈りを捧げた。かくてクリスマスを迎えた翌朝、大聖堂に飾られた憧れのルーベンスの絵の前で、愛犬を固く抱きしめたまま共に凍死している少年が発見される。両者は誰の手でも引きはがす事が出来ず、村人たちは悔いつつも、教会の特別な計らいの下に犬と少年を共に祖父の墓に葬ったのだった。*********************Wikipedia「フランダースの犬」より******************

今日私に与えられた聖書のメッセージです。

マタイ22章30節『復活の時には、めとることも稼ぐこともなく、天使のようになるのだ。』・・・当時のユダヤ人社会の中にサドカイ派の人々がいました。彼らは、復活を信じていませんでした。その根拠として、「もし復活があるとすれば、この世の苦しみや悲しみ、そして欲望などの肉体の弱さの元となる罪の性質を、永遠に持ち続けなければならない。そこは、もはや天国ではなく、地獄の責苦を与えられる所である」と。それで、イエス様に尋ねたのです。「跡継ぎが生まれない夫が死んで、その弟と妻は結婚したが、同じように長子が生まれない、そして弟も死んだ。同じく結果的にその兄弟7人と結婚した妻が死んだのち復活したら、そのうちの誰の妻になるのでしょうか?」との質問に、イエス様が冒頭の答えを示された箇所です。つまり、この世の延長線上が天国ではなく、人間の理解をはるかにこえた神の力が働いている罪のない永遠の世界が広がっていることを示されました。エレン・ホワイトの言葉です。「彼らの質問に答えて、イエスは来世の生活の幕を開かれた。・・われわれをとりまいている神秘を解く唯一の鍵は、それらのすべての中に神の存在と力とを認めることである。人は神を宇宙の創造者、すべてのことを命令し実行されるお方として認めなければならない。・・もし死人の復活がなければ、彼らが信じると告白している聖書は何の役にも立たないであろうと、キリストは聴衆に言明された」(各自希望下、54頁)

さて、このあと、弟子のユダの裏切りやユダヤ人の陰謀により、イエス様の十字架の死がありました。しかし、三日後に復活されたイエス様が弟子たちの間に40日間に渡って現れになった後、再臨を約束されて天に戻って行かれました。そのあとに、弟子たちの霊の目が開かれて、世界へ伝道をして行ったのですが、その模様が新約聖書の使徒言行録に書かれてあります。その中で弟子のひとり、ステファノの殉教の個所があります。彼は、とても信仰心が篤く、熱心に福音を同胞のユダヤ人たちに語りました。しかし、強烈な反対を受け、最終的には石打ちの刑により殺されてしまいます。その最後の場面です。「ステファノは聖霊に満たされ、天を見つめ、神の栄光と神の右に立っておられるイエスとを見て、『天が開いて、人の子が神の右に立っておられるのが見える』と言った。・・人々が石を投げつけている間、ステファノは主に呼びかけて、『主イエスよ、私の霊をお受けください』と言った。それからひざまずいて、『主よ、この罪を彼らに負わせないでください』と大声で叫んだ。ステファノはこう言って、眠りについた」(使徒7:55~60)。 

弟子たちは、イエス様による愛と福音の伝道のために、次々と殉教を遂げていったのですが、その生き様はとても興味深いものです。彼らには、一つの共通点がありました。それは、皆が使命を持っていたということです。聖書には出てこないのですが、伝承では、弟子のひとりである長老格のペテロは、キリスト教が禁じられていたローマで、伝道活動をしていました。しかし、暴君ネロの迫害を受け、身の危険を感じてローマから逃げようとしていたペテロの前にイエス様が現れました。驚いた彼は、とっさにこのように言います。「ドミオ・クオ・バディオス」(主よ、どこへ行かれるのですか?)。それは、かつて彼が口にした言葉と同じものでした(ヨハネ13:36)。それに対してイエス様は、「君が民衆を捨てて逃げるというなら、君の代わりにもう一度、十字架にはりつけになるためにローマに行く!」と返されました。この言葉に目が覚めたペテロは、殉教を覚悟してローマに戻り捕まって処刑されました。それも、逆さ十字架を望み殉教していきました。

私の尊敬する熱心な信仰者であるポール・マイヤー氏の母親は、ある日台所で倒れていました。連絡が取れないので心配をした彼が、実家を訪れて彼女を発見したのですが、その前掛けのポケットには、「~伝道船に献金を、○○ドル」と書いたメモが入っていたそうです。その後、母親は亡くなりましたが、その熱心な信仰を彼は受け継いだのでした。

さて、私たちの人生は、最後まで何を望み、何を目指して歩むべきでしょうか?私も、驚くべきことに、今月2日に65歳を迎え、いよいよ定年後の事を考えるこの頃です。現役牧師としては、あと2年の猶予があるのですが、人生の総仕上げの時と覚悟しました。大金持ちでありながら(笑)、あれこれ、引退後や生活の事を心配したりと思い煩いは尽きないものです。しかし、そんな中にフッと思い出すのは、フランダースの犬の物語の最後のシーンです。すべてを失おうとも、いのちの力が尽きるまで、イエス様の愛に憩い、できることならば、福音まみれで、愛を伝えつつ、野垂れ死んでもいいかな・・・と。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                           

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