どうしても慰められない心!
- 耕司 大平
- 2022年2月25日
- 読了時間: 5分
2022年2月26日(土)「どうしても慰められない心!」 LT(Loving Time)大平耕司
二度と会えない家族の写真
私の前の上司(課長)は無口、無表情。雑談には加わらず、お酒も飲まず、人付き合いをしない堅物(かたぶつ)でした。誠実公平、どんな時でも冷静なので頼もしい上司なのですが、堅過ぎて近寄りにくい雰囲気がありました。
そんな課長の机の上には奥さん、子供四人と写った写真が飾られてて、
「あの朴念仁(ぼくねんじん)でも家族は愛してるんだな」と微笑ましく思ったものです。
何年経っても同じ写真が飾ってあったので、理由を聞いてみたら、
「一番かわいかった頃の写真だからね」と照れ笑いを浮かべながら答えてくださいました。それが私の見た唯一の課長の笑顔でした。
そんな真面目一徹、入社以来無遅刻無欠勤の課長が三日続けて無断欠勤。
家に電話しても誰も出ず、親族の連絡先も分からなかったので、
部長が直接課長のマンションを訪ね、管理人さんにお願いしてドアを開けていただきました。
課長は玄関で倒れていて、既に冷たくなっていました。急性心不全だったそうです。
部長が管理人さんに課長の家族がいつ戻ってくるか聞くと、「○○さんには家族はいないですよ」という返事。
あわてて人事部の資料をほじくり返すと、確かに課長には家族がいません。
課長は10年前に中途入社した人なので、それ以前に家族に逃げられていて、
写真を見て幸せだった時代を懐かしんでいたんだと思い、少し悲しくなりました。
結局、課長の葬儀にも家族も親族も顔を出さず、血縁の人たちの冷たさにもっと悲しくなりました。
後日墓参りに行くと、立派なお墓が立っていました。
死んでやっと家族と和解できて、 立派なお墓を立ててもらえたのかと安心して墓石を見てみると、愕然としました。
お墓は古びていて、課長と同じ名字の名前が墓誌にいくつも彫ってありました。
課長以外は全員十数年前の同じ日に亡くなっていました。
家族を一度に亡くしてからの十数年の歳月を、彼はどんな気持ちで過ごしていたんでしょうか?
二度と会えない家族の写真をどんな思いで毎日眺めていたんでしょうか?
人を遠ざけ、自分のことを決して語らなかった課長の姿を思い出し、涙が止まりませんでした。
****************************************インターネット記事「naku」より*************
今日私に与えられた聖書のメッセージです。
ヨハネ11章35節『イエスは涙を流された。』・・・友人のラザロが病気だという知らせが、姉妹のマルタとマリアから届き、イエス様は、エルサレムの近くのベタニアの町のラザロのもとへと来られました。イエス様が彼らの家に着かれた時、マルタとマリアが「主よ、もしここにいてくださいましたら、私の兄弟は死ななかったでしょうに」(ヨハネ11: 21,32)と嘆き悲しみました。すでに、その時には、ラザロは死んで墓に葬られていたのです。イエス様は、姉妹と友人たちが悲しんで泣いているのを見て、ご自身も涙を流されました。エレン・ホワイトの言葉です。
そのあと、イエス様はラザロの葬られている墓に案内するように言われました。そして、墓の入り口の石を取り除くように指示され、「ラザロ、出て来なさい」(同43節)と大声で叫ばれました。すると、死人のラザロは、全身布で覆われたまま、墓から出てきました。生き返ったのです。マルタとマリアをはじめ、そばにいた人たちは大喜びです。彼らの悲しみの涙は一瞬のうちに、喜びで乾き果てました。しかし、イエス様の涙は、『幾年も後の世まで見わたされて、主は、人類の運命となる苦難と悲しみ、涙と死をごらんになった』そのものへの涙でもありました。人類の永遠に滅んでいく者に対する深い悲しみまでも含んでいたのです。ですから、イエス様の涙は乾き果てることはありませんでした。
私たちは、最愛の人を失って深い悲しみにいる友人などがいた場合、その人に同情し、寄り添ってあげたいと思います。ましてや、その人から苦しい胸の内を打ち明けられたら、なんとか慰めの言葉をかけてあげたいと、必死になるものです。
聖書のヨブ記には、そのやりとりが書かれています。彼は、10人の子供たちと幾千の家畜と使用人を有する、祝福された大家族の長であり信仰者でした。しかし、ある日突然、そのすべてが奪われてしまいました。信仰者であるヨブは、「私は裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ」(ヨブ1:21)と言いました。とても、信仰熱心なヨブの言葉です。そのあと、追い打ちをかけるようにヨブの体中が皮膚病で覆われてしまいます。それを見た妻の「どこまでも無垢にいるのですか。神を呪って、死ぬ方がましでしょう」の言葉に「お前まで愚かなことを言うのか。私たちは、神から幸福をいただいたのだから、不幸もいただこうではないか」(ヨブ2::9,10)と立派な返答。でも、やはりヨブも弱さをもった人間です。あまりのつらさに、ヨブは、「私の生まれた日は消えうせよ。・・・なぜ、私は母の胎にいるうちに、死んでしまわなかったのか。せめて、生まれてすぐに息絶えなかったのか。・・・もうたくさんだ。いつまでも生きたくはない。ほうっておいてください。私の一生はむなしいのです」(ヨブ3:3,11,7:15,16)と悲しみ叫びました。慰めに来た友人たちがヨブに寄り添い、ヨブの疑問に応えようとしますが、逆にヨブの悲しみといら立ちはますますエスカレートするばかり。
親しい友であっても、人間の慰めには限界があります。自分の無力さに涙した人は多いでしょう。しかし、イエス様の憐れみの涙は違います。究極の慰めは、イエス様の愛に溢れた御声に他なりません。ヨブは友人たちとヨブ記の35章にわたるやりとりのあと、最後の最後に、直接の神様のお声かけに完全に癒されました。友人たちの何百、何千の言葉よりも、イエス様の一言の慰めの言葉にすべての悲しみと憂いが解消してしまったのです。
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