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どんなに暗くても!

  • 執筆者の写真: 耕司 大平
    耕司 大平
  • 2022年3月29日
  • 読了時間: 7分

2022年3月26日(土) 「どんなに暗くても!」  LT(Loving Time)大平耕司

『光は闇より』という本があります。日本の視覚障害者に対する福祉事業の偉大な先駆

者であった岩崎武夫氏の自叙伝です。

彼は若き日、故郷の大阪より志を立てて上京し、早稲田大学理工学部に学びました。それは、1916年、18歳の時でした。ところが、その6か月後、風邪をひき、こじらせてしまいました。2週間、発熱が続き、なかなか良くなりません。ある日、天気がいい日に日向ぼっこをしていました。そして、何気なく向こうの高台のほうを眺めました。ところが見慣れた木々や向こうの西洋館の屋根がはっきり見えないのです。日が経つにつれて、ますます見にくくなっていきました。

彼は眼科を受診しました。そこで「網膜剥離」との診断を告げられました。失明の危険があるからと、直ちに入院しました。ところが、一日一日と視力は悪くなり、視界はだんだんと悪くなってしまうのです。当時の日本きっての名医、東京帝国大学の眼科部長、河本重次郎博士の治療を受けました。手術を受けること合計7回、手術をすればするほど悪くなるばかりでした。ついに河本博士から「もうこれ以上、手当のしようがない」と告げられたのでした。上京してわずか9カ月後、19歳の彼は、失意のどん底で、故郷の大阪に帰る決意をするのです。

故郷に戻った彼は、毎日、母の手に引かれながら、熱心に眼科医院に通いました。しかし、少しも良くはなりませんでした。同じ年の12月31日、大晦日の夜、ついに彼は、短い人生を清算しようと覚悟を決めたのです。死だけが、彼に残された、自分の運命に対する唯一の報復手段であったのです。除夜の鐘が鳴ろうとする時彼は自殺を決行しました。しかし、それは未遂に終わってしまいました。自殺をしようとしたその瞬間に、母親が飛び込んできたのです。母親は彼の手をつかむと、泣き伏しながら、涙の中からのこう叫びました。「何でも良いから生きておくれ、お前に死なれてはどこに生きがいがあるものか」。彼はこう書いています。「母のこの言葉は難しい説教でも理屈でもなかった。ごく平凡な大阪弁で、『何でも良いから生きていてくれ』という、ただそれだけであるが、その内には彼女の生命一切が圧搾(あっさく)されて命がけで私の生命に働きかけたのである。・・・私が家にとって不幸の原因であり、涙と物質負担との軛(くびき)であるにもかかわらず、なお私の生きていることは母の生きがいであるというに至っては、これは驚くべき未踏の世界と言わねばならない。・・・この愛にもし私が触れ得なかったとすれば、おそらく私は道端の名もなき冷たき墓石の一つになり終わったであろうと思われる」

その夜、母と子はまんじりともせずに語り明かしました。明ければ元旦でした。彼は涙を流しました。それは悲しみの涙ではなく、失明後初めて流した喜びの涙でした。正月の朝、それは、彼の新しい人生の旅立ちの朝となったのです。

彼はやがて大阪の盲学校に通い始め、点字を習いました。そして早速、外国に点字書を注文しました。その最初に届いたものが英語の聖書でした。彼は寝食を忘れて福音書を読みふけりました。福音書を読み進んでいくうちに、最も強烈に心に迫ったのは、ヨハネによる福音書の第9章でした。長年、彼が追い求めていた不幸の原因に対する解決の光が与えられた思いがしました。聖書にはこう書いてありました。「さて、イエスは通りすがりに、生まれつき目が見えない人を見かけられた。・・『本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである』」(ヨハネ9::1~3)

 彼は、この聖書の言葉を最初は理解できませんでした。しかし、彼の長年の大きな疑問に対する解決がここにあると確信しました。彼は何度も何度もこの個所を読みました。そして、だんだんと理解できるようになりました。「人の目から見れば、とるに足らない弱い悩める罪人も、神の目から見れば、大いなる愛の輝きとしての器である。同じ姿が、一方には黒となり、一方には白となるパラドックスである。・・『幸いなるかな、心の貧しき者、天国はその人のものなり。幸いなるかな、悲しむ者、その人は慰められん』(マタイ5::3~4)。これは実に逆説であるが、また大いなる真理である」と彼は書いています。

 翌1919年の正月、彼は洗礼を受けました。その時、一緒に洗礼を受けたのが彼の母親でした。やがて彼の妹も洗礼を受け、彼の一家はクリスチャンとなったのです。その年の4月、彼は関西大学文学部英文科に入学し、23年、無事卒業しました。

 1925年には結婚し、その後、妻と共に英国のエジンバラ大学に留学し、宗教哲学と英文学を専攻しました。さらにエジンバラ大学修士課程を修了し、翌年、30歳の時、帰国して関西学院大学の宗教哲学、英文学の講師となりました。1935年、視覚障害者のための福祉施設、日本ライトハウスを建設し、館長・理事長に就任しました。また49年、政府に働きかけて「身体障害者福祉法」を実現させたのです。1952年、彼は日本盲人福祉協議会を結成し、初代委員長に就任しましたが、1954年、その働き盛りの時に病に倒れ56歳で亡くなりました。彼はこう書いています。「私はキリストに出会って初めて闇の問題が一切解決されたのを覚えた。実に闇の故に、闇を転機として私の一家はより善き生活を与えられたのである。・・・私の青春を奪った闇の道は余りにも受難に満ちていた。私は何故自分一人だけの道がかくも茨の上に備えられねばならないかを了解することが出来なかった。そうして神を恨んだ。しかしこの茨の道はいつとはなしに憩いの汀(みぎわ)に導かれて行ったのである」。*********山形謙二著『負わされた十字架』より参照********

今日私に与えられた聖書のメッセージです。

箴言23章18節『確かに未来はある。あなたの希望が断たれることはない。・・・イエス様は、山上の説教の中で、「だから言っておく。自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。・・なぜ、衣服のことで思い悩むのか、野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、言っておく、栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。・・・何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる」(マタイ6:25~33)と話しておられます。当時、ユダヤ人は、ヘロデ王朝のもと、ローマ帝国に支配されていました。かつては、ダビデ王朝、ソロモン王朝と世界を支配して栄華を極めたイスラエル民族でしたが、諸国の偶像崇拝に影響されて、神から離れ、内乱が起こり、とうとう国を滅ぼされ、次々と入れ代わる強国に支配され続けるという波乱の歴史の中にいました。そんな中にイエス様が、旧約聖書の預言どおり救い主としてお生まれになりました。今のウクライナのように、いつ何時、何が起こってもおかしくない、混乱した社会・政治情勢の渦の中の出来事でもあるのです。イエス様は、その渦中において、ただの一回もローマ支配への批判や愚痴、権力者への非難や民を扇動して暴動を起こすということはなさいませんでした。それどころか、上記に加え「悪人に向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬も向けなさい。・・求める者には与えなさい。あなたから借りようとする者に、背を向けてはならない」(マタイ5:39,42)と言われました。ある牧師が、相談に来た人にこのようにアドバイスしたそうです。「何もかもうまく行ってない状態こそが、もの凄くうまく行っている状態なんです」と。つまり、イエス様は、『私たちの思いや行動が自己満足や己の欲求充足に向かっている時には、自己憐憫や失望、そして絶望へと簡単に打ち負かされてしまう。しかし、ひとたび愛の神にその思いが向けられた時に、暗闇が希望に満たされてくる』と言われたのです。なぜなら、私たちは愛の子として生まれたからです。「神は御自分にかたどって人を創造された」(創世記1:27)ということは、永遠に至るまですべてにおいて私たちの面倒を見て下さるということです。イエス様がなされた愛の業に信頼しましょう。その業が少しでも自分を通して暗闇にいる隣人になされますように…!「イエスは言われた。『私は復活であり、命である。私を信じる者は、死んでも生きる』」(ヨハネ11:25)                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                       

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