なぜ、苦しみがあるのか?
- 耕司 大平
- 2023年6月3日
- 読了時間: 7分
2023年6月3日(土) 「なぜ、苦しみがあるのか?」 LT(Loving Time)大平耕司
ビルと言う人がアルコール依存症で困っていました。彼は、何度も精神病院に入院していました。そのために仕事を失い、社会的に孤立していました。ある日、やはりアルコール依存症である友人が久しぶりに家を訪ねてきました。彼は、これで友人と飲んで孤立感が払拭できると喜びました。しかし、その友人が全くお酒を飲まなくなっているのを見て、何が起こったのかと、とても驚きました。理由を聞くと、キリスト教に入信し、同じ信仰を持つ仲間たちと一緒に、アルコール依存症から立ち直ろうとしている人の手助けをすることにより、アルコールを飲まなくなったとのことでした。ビルはそれを聞き、その時は宗教に関して全く興味がなかったのですぐには納得しませんでしたが、その次に再び入院した時に、治療法のひとつとして友人と同じことを試してもいいのではないかと考えました。そして、実際同じことをやってみると、お酒を完全に忘れることができたのです。お酒を飲まなくてもやっていける方法を発見した彼は、それを実践していくために、仲間とAA(Alcoholics Anonymous)を立ち上げました。設立から80年以上経ちますが、たとえ信仰のない人でも、AAに入り、アルコール依存症の人たちと一緒に立ち直ろうとすることで、回復することが可能であることが分かりました。つまり、アルコール依存症から回復するために、治すための強い決心や我慢をしても必ず再発する一方、回復した人も含めてアルコール依存症の仲間たちと一緒に、他のアルコール依存症の人たちを助けるという利他的な行動をとることが、治るための唯一の有効な方法であることが分かりました。生き方を利他的に変えることで、自分へのアルコールへの囚われから解放され、それが幸福感につながり、結果として回復することにつながるわけです。多くのアルコール依存症の患者は、まじめな仕事人間であると同時に、まじめさゆえに問題を一人で抱えてしまい、安心して人に相談できない、不器用な人たちです。彼らは、周りから厄介者扱いされ、社会的にも必要とされないと思っています。それゆえ自分の価値を認められず、周りからも存在価値を認めてもらえないという深刻な状況に陥っています。このような過酷な現実は、とても辛すぎます。そのため、価値を十分に認めてくれる人間関係が必要です。AAでは、全員が自分の話に耳を傾けてくれ、自分が大切にされていると実感することができます。そこで問題の原因をはっきりと自覚することができます。つまり、問題の原因は、自分の中にあるのであって、周りの人ではないということです。問題を直視することが、回復の出発点になります。そして仲間と交わっているうちに、自分を超えた存在である神を認められるようになります。これは、単に宗教にはまる、逃避するということではなく、どん底から人に助けられる過程で、目に見えない自分を超えた世界を感じるようになるということです。そうすると、たとえ仕事で失敗しても、それは神の素晴らしい計画が実現する過程であると、すべてを受入れることができるようになります。
星野富弘さんも苦しみの中を通り、不思議と神様に導かれた人です。1946年に群馬県勢多郡東村に生まれました。運動神経抜群で1970年3月に群馬大学を卒業後、中学校の体育教師になりますが、同年6月17日、クラブ活動の指導中に墜落事故で頸髄を損傷、手足の自由を失いました。その後入院生活が始まり2年後のある日です。星野さんは絶望の日々を過ごし自暴自棄になっていました。そこにかつての山岳部の先輩が見舞いに来ました。そして、「俺にできることはこれしかない」と言って、星野さんに聖書を手渡しました。そこで初めて神様との出会いを経験します。そして、最初に口にくわえた筆で描いた、聖書の御言葉が『すべて疲れた人、重荷を負う人は、だれでわたしのところに来なさい。休ませてあげます』(マタイ11:28)でした。でも、その聖句とは特別なつながりがあるものでした。星野さんが、この聖句に出会った時に「あれ、これは、どっかで見たことがある!」と思ったのでした。それは彼が中学生の頃にさかのぼります。家の仕事を手伝って田舎の道を歩いている時、新しいお墓が建っていました。そこに何か文字が書きこんでありました。ふと近づいて読んでみると『すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。・・』とその文字だったのです。その頃は聖書のことなど知りません。でも強く印象に残ったのでした。「あのお墓は、誰のだったのだろう?」と星野さんは考えました。不思議とその後の物語が続きます。それは、星野さんが中学生の頃、生まれてすぐ亡くなった赤ちゃんがいました。クリスチャンの両親は、とても悲しみました。「神さま、なぜ、この子は亡くなったのですか?」と苦しみました。でも、その意味も何も分からないまま、数10年の月日が経ちました。そして、この夫婦は、星野さんのことを耳にします。そして、星野さんと会うことになります。そして、このように老夫婦は言いました。「神さまが、あの子の死を役立たせてくださったことが今分かりました!」。星野さんは、その聖句に出会った後1974年にバプテスマを病室で受けています。現在、76歳で元気で暮らしておられます。
今日私に与えられた聖書のメッセージです。***************************************
マタイ11章28~30節『疲れた者、重荷を負う者は、だれでも私のもとに来なさい。休ませてあげよう。私は柔和で謙遜な者だから、私の軛を負い、私に学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。私の軛は負いやすく、私の荷は軽いからである。』
・・・なぜ、この世界に苦しみが存在するのか?との問いに対する聖書の基本的解答は、罪の結果であるということです。そして、哲学者ニーチェは、「苦しみに対して、人を憤慨させるのは、実は苦しみそのものではなく、むしろ苦しみの無意味さである」と言っています。人が耐えられないのは苦痛そのものではなく、苦難の無意味さなのです。その意味が分かったとき初めて、人間は苦痛に耐える力が与えられます。人間は無意味な苦難には耐えられないようにできているのです。聖書は一つの出来事を通して苦しみの意味について述べています。「さて、イエスは通りすがりに、生まれつき目の見えない人を見かけられた。弟子たちがイエスに尋ねた。『ラビ、この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親ですか。』イエスはお答えになった。『本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである』」(ヨハネ9:1~3)。弟子たちは、この目の見えない人の苦難の原因について問いかけています。弟子たちの考え方は基本的に因果応報の思想です。生まれつき目が見えないのは、罪の結果に違いないという論理です。その弟子たちの質問に対してイエス様は、苦難の原因について論ずるよりも、むしろ苦難の意味と目的について述べておられます。それは人生の苦難の問題に対する鋭い洞察と深い宗教的真理を指し示しています。すべての苦難の原因に対してはっきりした論理的解答があるわけではありません。むしろ分からないことのほうが多いのです。しかし、ここで聖書は、いかなる苦難もキリストにあってはっきりとした意味と目的を持ちうると述べています。キリストとの出会いによって私たちに全く違った人生が開かれ、私たちの弱さ、不幸、苦しみなどすべてが、神のみわざが現れるために用いられるというのです。偉大な使徒パウロも病を持っていました。彼はこう言っています。「私の身に一つのとげが与えられました。それは、思い上がらないように、私を痛めつけるために、サタンから送られた使いです。この使いについて、離れ去らせてくださるように、私は三度主に願いました。すると主は、『私の恵みはあなたに充分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ』と言われました。だから、キリストの力が私の内に宿るようにむしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。それゆえ、私は弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、私は弱いときにこそ強いからです」(Ⅱコリント12:7~10)。クリスチャンは、信仰によって苦しみ(サタンの仕業)の背後に、全宇宙をご支配なさる神様を見ます。苦しみによってこそ、希望がより大きく育まれるのです。その希望とは、死も悲しみも嘆きも労苦もない永遠の都に家族と共に再び住める希望です!
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