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なぜ苦しみがあるの?

  • 執筆者の写真: 耕司 大平
    耕司 大平
  • 2022年6月11日
  • 読了時間: 7分

2022年6月4日(土)  「なぜ苦しみがあるの?」  LT(Loving Time)大平耕司

 横田めぐみさんが、北朝鮮に拉致されたのは、1977年11月10日でした。学校から帰る途中でした。最初は、事故に遭ったのではないか、誘拐されたのではいかと騒がれたのですが、何の手がかりもありませんでした。その当時のことを、母親である横田早紀江さんはこのように語りました。「とにかく何にも手がかりがなく、分からない状況でしたので、色々な考えが錯綜して、心配で心配で毎日泣いていました。例えていえば、自分の背中を中華包丁でズバッと切り取られたような、寒いような痛いような、なんとも言えない感覚でした」。13歳の娘が突然いなくなったのです。親であれば、だれでもその気持ちは分かると思います。毎日、泣きたくなるのも当然です。・・私たちの毎日は、決して雲のない晴れ渡った毎日ではありません。曇りの日もあれば、雨に日も嵐の日もあります。病気などの不幸により人生が中断されるとき、私たちは立ち止まらざるを得ません。私たちは、立ち止まって人生について考えるのです。賢者と呼ばれたソロモン王は、「順境の日には楽しめ。逆境の日には考えよ」(伝道の書7章14節)と述べています。私たちは逆境においては、人生について深く考えるように促されます。苦しみの中において、私たちは、通常の生活において見えなかった世界に目が開かれるのです。ある人が言いました。「神は我々に真実なもの、永遠なるものを与えんとして空虚なもの、過ぎ去るものを奪うことがあるのではないか。地位、名誉、財産、学歴、健康、そのような人間の地上生活に必要なるもの、従って必ず我々に付きまとって来るものが無残に奪い去られることによってかえって永遠の世界、真実の世界に目が開かれるのではないか」。

さて、横田早紀江さんのそのような苦しみの中の或る日、一人のご婦人が訪ねて来ました。めぐみさんの同級生のお母さんです。前から顔見知りの人でした。クリスチャンのその人は、聖書を持ってきました。そして、聖書の記事の中の『ヨブ記』というところを開いて、そこを読んでみるように勧めたのです。聖書は初めてで、右も左も分からない早紀江さんでしたが、聖書をもらい、言われるままにヨブ記を読み始めました。そして、友人の家庭で持たれる聖書研究会にも参加するようになりました。そして、1984年に、早紀江さんはバプテスマ(洗礼)を受けました。そしてこのように話しておられます。「私は生きている間は、めぐみを助けるために最大限の努力を払います。そして、結果は神様に委ねます。日本も朝鮮も『陶器師なる神の御手の中にある器』のように、神様の手の中で、より良く変えられていくと思います。すべて主のみこころがなることを、私は強く願っています」

星野富弘さんも苦しみの中を通り、不思議と神様に導かれた人です。1946年に群馬県勢多郡東村に生まれました。運動神経抜群で1970年3月に群馬大学を卒業後、中学校の体育教師になりますが、同年6月17日、クラブ活動の指導中に墜落事故で頸髄損傷、手足の自由を失いました。その後入院生活が始まり2年後のある日です。星野さんは絶望の日々を過ごし自暴自棄になっていました。そこにかつての山岳部の先輩が見舞いに来ました。「何か食べたいものあるか?」の問いに、「冷やし中華が食べたい」と答えました。「バカ、今は冬だぞ。夏まで待て!」と先輩は帰って行きましたが、2時間後に冷やし中華を手にして戻ってきました。とても優しい先輩です。そして、「俺にできることはこれしかない」と言って、星野さんに聖書を手渡しました。そこで初めて神様との出会いを経験します。そして、最初に口にくわえた筆で描いた、聖書の御言葉が『すべて疲れた人、重荷を負う人は、だれでわたしのところに来なさい。休ませてあげます』(マタイ11:28)でした。でも、その聖句とは特別なつながりがあるものでした。星野さんが、この聖句に出会った時に「あれ、これは、どっかで見たことがある!」と思ったのでした。それは彼が中学生の頃にさかのぼります。家の仕事を手伝って田舎の道を歩いている時、新しいお墓が建っていました。そこに何か文字が書きこんでありました。ふと近づいて読んでみると『すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。・・』とその文字だったのです。その頃は聖書のことなど知りません。でも強く印象に残ったのでした。「あのお墓は、誰のだったのだろう?」と星野さんは考えました。不思議とその後の物語が続きます。それは、星野さんが中学生の頃、生まれてすぐ亡くなった赤ちゃんがいました。クリスチャンの両親は、とても悲しみました。「神さま、なぜ、この子は亡くなったのですか?」と苦しみました。でも、その意味も何も分からないまま、数10年の月日が経ちました。そして、この夫婦は、星野さんのことを耳にします。そして、星野さんと会うことになります。そして、このように老夫婦は言いました。「神さまが、あの子の死を役立たせてくださったことが、いま分かりました!」。星野さんは、その聖句に出会った後1974年にバプテスマを病室で受けています。現在、76歳で元気で暮らしておられます。

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今日私に与えられた聖書のメッセージです。

マタイ11章28~30節『疲れた者、重荷を負う者は、だれでも私のもとに来なさい。休ませてあげよう。私は柔和で謙遜な者だから、私の軛を負い、私に学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。私の軛は負いやすく、私の荷は軽いからである。』

・・・なぜ、この世界に苦しみが存在するのか?との問いに対する聖書の基本的解答は、罪の結果であるということです。そして、哲学者ニーチェは、「苦しみに対して、人を憤慨させるのは、実は苦しみそのものではなく、むしろ苦しみの無意味さである」と言っています。人が耐えられないのは苦痛そのものではなく、苦難の無意味さなのです。その意味が分かったとき初めて、人間は苦痛に耐える力が与えられます。人間は無意味な苦難には耐えられないようにできているのです。聖書は一つの出来事を通して苦しみの意味について述べています。「さて、イエスは通りすがりに、生まれつき目の見えない人を見かけられた。弟子たちがイエスに尋ねた。『ラビ、この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親ですか。』イエスはお答えになった。『本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである』」(ヨハネ9:1~3)。弟子たちは、この目の見えない人の苦難の原因について問いかけています。弟子たちの考え方は基本的に因果応報の思想です。生まれつき目が見えないのは、罪の結果に違いないという論理です。その弟子たちの質問に対してイエス様は、苦難の原因について論ずるよりも、むしろ苦難の意味と目的について述べておられます。それは人生の苦難の問題に対する鋭い洞察と深い宗教的真理を指し示しています。すべての苦難の原因に対してはっきりした論理的解答があるわけではありません。むしろ分からないことのほうが多いのです。しかし、ここで聖書は、いかなる苦難もキリストにあってはっきりとした意味と目的を持ちうると述べています。キリストとの出会いによって私たちに全く違った人生が開かれ、私たちの弱さ、不幸、苦しみなどすべてが、神のみわざが現れるために用いられるというのです。偉大な使徒パウロも病を持っていました。彼はこう言っています。「私の身に一つのとげが与えられました。それは、思い上がらないように、私を痛めつけるために、サタンから送られた使いです。この使いについて、離れ去らせてくださるように、私は三度主に願いました。すると主は、『私の恵みはあなたに充分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ』と言われました。だから、キリストの力が私の内に宿るようにむしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。それゆえ、私は弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、私は弱いときにこそ強いからです」(Ⅱコリント12:7~10)。クリスチャンは、信仰によって苦しみ(サタンの仕業)の背後に、全宇宙をご支配なさる神様を見ます。苦しみによってこそ、希望がより大きく育まれるのです。その希望とは、死も悲しみも嘆きも労苦もない永遠の都に家族と共に再び住める希望です!

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