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ほんとうの信仰!

  • 執筆者の写真: 耕司 大平
    耕司 大平
  • 2022年11月12日
  • 読了時間: 7分

2022年11月12日(土)   「ほんとうの信仰!」   LT(Loving Time)大平耕司

人々は息子をイエスのところに連れて来た。霊は、イエスを見ると、すぐにその子を引きつけさせた。その子は地面に倒れ、転び回って泡を吹いた。イエスは父親に、「このようになったのは、いつごろからか」とお尋ねになった。父親は言った。「幼い時からです。霊は息子を殺そうとして、もう何度も火の中や水の中に投げ込みました。おできになるなら、私どもを憐れんでお助けください。」イエスは言われた。「『できれば』というか。信じる者には何でもできる。」その子の父親はすぐに叫んだ。「信じます。信仰のない私をお助けください。」(マルコ9:20~24)・・・ひとりの父親が事件を起こします。その男の息子が病気になりました。父親として何か治す方法はないものかとあちこちの医者や祭司のもとに連れていったかもしれません。しかしどうしようもありませんでした。それが息子の小さな頃からというのです。それでイエス様のうわさを聞いて、息子を何とかして治してくださるに違いないと、イエス様のもとに連れて来たのです。そしたら、ちょうどその時、イエス様はおられませんでした。何人かの弟子たちだけを連れて山に登っておられました。その山の麓で、イエス様に取り残された弟子たちを、この男は見つけたのでした。イエス様がおられないことに失望はしたと思いますが、息子のことを訴えて、何とかしてもらいたいと願いました。弟子たちはそれまでに、イエス様によって伝道に派遣されて、実際に自分たちの手によって人々の病気を癒す経験をしていました。ですから、男の話を聞いて、「そんなことは何でもない」と癒そうとしました。しかし、どうしてもその子が口をきくようはなりません。そこで騒ぎが生じました。日頃イエス様のことを快く思っていない律法学者たちが駆けつけてきて、鬼の首を取ったような気分になったのでしょう。「あのイエスの弟子たちが何もできない」。それで論争を吹っかけて、大騒ぎになっていました。そこにイエス様が戻って来られました。ことの成り行きをお聞きになったイエス様は、「なんと信仰のない時代なのか。いつまで私はあなたがたと共にいられようか。いつまであなたがたの信仰に我慢しなければならないのか。」(同19節)と深く嘆かれたのです。これは、いったい誰の信仰を嘆かれたのでしょうか?もちろん、弟子たちの不信仰です。イエス様は世界の贖いのためにご自分の命を賭けようと決心しておられました。そのために弟子たちにその任務を任せようと訓練をされていました。しかし、このありさまをご覧になられ、この世的な者たちを神の人に変える試みは、やはり望みのない事であると失望されたのかもしれません。・・最終的にイエス様は悪霊を追い出し、この息子を癒されましたが、弟子たちがこの物語の最後の個所で、こっそりと自分たちが出来なかった理由を聞いています。イエス様は、「この種のものは、祈りによらなければ決して追い出すことはできないのだ」(同29節)と答えられました。この答えはちょっと難解です。なぜならば、『祈り』は誰でもしていたし、弟子たちが祈らなかったということはあり得ません。それならば、その『祈り』がほんとうの信仰ではなった、真実の信仰から出た祈りではなかったということになります。そうであれば、私たちも困ってしまいます。一応、何かと私たちも祈っていますので、弟子たちの祈りが聴かれないとなると、どうしようもなくなるのです。どうすれば、ほんとうの信仰者としての祈りが出来るのでしょうか?その答えとして、イエス様は息子の父親に指摘されておられます。「おできになるならば息子を癒してください」との父親に、「『できれば』というのか?」とイエス様はちょっと怒られました。それで、すぐ父親は、「信じます。信仰のない私をお助けください」とあわてて答えました。この回答にヒントがあります。つまり、イエス様の力にぐっと引き留められたように、父親は信じられない自分をイエス様の前に投げ出しました。正直、私たちは心の奥底からイエス様の事を信じられるのでしょうか。罪の性質はそれを常に破壊するのです。だから、私たちはこう祈るのです。「正直に言って、心底信じることのできない自分がいます。しかし、この哀れな魂を、すべてあなたにお委ねいたします。」

今日私に与えられた聖書のメッセージです。

ルカ7 章9節『イエスはこれを聞いて感心し、従っていた群衆の方を振り向いて言われた。「言っておくが、イスラエルの中でさえ、私はこれほどの信仰を見たことがない。」

・・・これこそ本物の信仰だとイエス様が言われました。さて、どのような信仰なのでしょうか。まず、このいきさつですが、ある百人隊長の部下が病気にかかって死にかけていました。それで、ユダヤ人の長老たちに頼んで、イエス様に助けを乞うてきました。「あの方は、そうしていただくのにふさわしい人です。私たちユダヤ人を愛して、自ら会堂を建ててくれたのです」(同4,5節)と熱心に長老たちは言いました。そこでイエス様は一緒に出かけられたのですが、その家の近くに来た時に、百人隊長は、友人を使いにやって、「主よ、御足労には及びません。私はあなたを自分の屋根の下にお迎えできるような者ではありません。ですから、私の方からお伺いするのさえふさわしくないと思いました。ひと言おっしゃってください。そして、私の僕を癒してください。私も権威の下に置かれている者ですが、私の下には兵隊がおり、一人に『行け』と言えば行きますし、他の一人に『来い』と言えば来ます。また部下に『これをしろ』と言えば、そのとおりにします」(同6~8節)とことづてました。その言葉を聞いて冒頭の発言をイエス様がされました。そして、その後、使いに行った人たちが家に帰ってみると、不思議と、その部下は元気になっていたのです((同10節)。・・この百人隊長というのは、ローマ軍人でもないユダヤ人でもない、ガリラヤ地方を治めていた、ユダヤ人領主のヘロデ・アンティパスに雇われた傭兵でした。最近、外国からロシア軍に雇われた軍人の事がニュースになっていましたが、同じくサラリー軍人でした。文字通り、百人の兵隊の隊長という立場でした。普通はこのクラスの下級将校、あるいは位の低い下士官の立場の人たちは権力の傘を借りて威張り散らすものですが、この百人隊長はそうではありませんでした。とても謙遜でユダヤ人に尊敬されていました。そして、部下を心から愛していました。権威に対しても振りかざすのではなく、畏れ、感謝しています。それだけではなく、「私も権威の下に置かれている者ですが」とあるように、自分は部下に権威を振るうだけではなく、自分もまた権威の下に生き、その権威の下に生かされている者であると言うのです。その権威とはいかなる意味で言っていたのでしょうか。もちろん、領主のこともあるかもしれませんが、どうもその上の権威を知っているかのようです。つまり、ユダヤ人や長老たちからとても尊敬されていて、「あの方は私たちを愛してくれて会堂まで建ててくれた」と彼らから言われたほどの人物だったのです。ですからおそらく、ユダヤ人の人々が信じている神の権威を畏れ、信じ、一緒に会堂で礼拝をしていたかもしれません。ユダヤ人に対する愛情はそこから来ていました。また、この百人隊長は他の隊長がとった行動とは明らかに異なっていました。傭兵の隊長ですから、愛国心から祖国のために戦うわけではなく、金銭のためにいかなる権力からも雇われ、外国のためにも戦うという人たちでした。ですから、部下のことに対して自分に役に立つという基準が普通の考え方でしたが、そうではなく、その部下を心から愛していました。その関係は主従関係にとどまらず、温かい信頼関係がありました。その百人隊長が「私はユダヤ人でもない、まことに卑しい人間でしかありません。あなたをお迎えする資格のない者です。わざわざ家までお越し頂くほどの者ではないのです。神の権威をお持ちで力のあるあなた様のお言葉さえ頂ければ、それで部下は癒されるのです」と絶対の信頼をイエス様に置いていたのです。ホワイト夫人の言葉です。『我々がまったく無力な状態にあるので、神の救いの力が必要なのだということである。自己にたよる思いをまったく放棄して、我々は、カルバリーの十字架を見上げて、こう言うのである。「私は何も価値のあるものを手に持っていません。ただあなたの十字架にすがるのみです」』(各時代希望中30頁)。・・・ほんとうの信仰とは、自己の感情や思いの中にあるのではなく、イエス・キリストの神の権威を認め、理屈なしに主を選ぶことの中にあります。

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