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イエスに出会うコツ!

  • 執筆者の写真: 耕司 大平
    耕司 大平
  • 2022年12月10日
  • 読了時間: 7分

2022年12月10日(土) 「イエスに出会うコツ!」 LT(Loving Time)大平耕司

1897年16歳の時、大原孫三郎は故郷の倉敷市を出て東京での大学(現・早稲田大学)生活を始めました。彼は大会社の倉敷紡績(現在のクラレ)の三男坊だったため、放蕩の限りを尽くしてしまいます。よくある話ですが、放蕩の果てに、なんと一億円もの借金を抱え、父親に東京から連れ戻されてしまい、謹慎処分を受けます。その謹慎中に運命的な出会いがあります。ある倉敷の小学校の校庭で、岡山孤児院の孤児10人ほどの吹奏楽の演奏会がありました。演奏する孤児たちの顔はどれも明るく輝いていました。それだけでも衝撃的でしたが、その演奏後に演台に立った院長の石井十次の演説に孫三郎は圧倒され、すっかり魅せられてしまいます。石井の孤児救済運動に感動した孫三郎は、財布の中のお金を全部入れて帰宅しました。18歳の青年の心に火がついた瞬間です。石井十次(当時33歳)と夢を共有しながら、孤児救済の二人三脚の旅が始まったのです。その後、いくらあっても足りない岡山孤児院の運営に対して、多大な寄付をもって石井十次の神の御事業を支えたのでした。出会いのあと、彼は、クリスチャンである石井に影響され、聖書を精読するようになり、バプテスマを受けます。それから、感動して毎日、日記をつけるようになります。その日記の一部ですが、『私がこの命と資産を与えられたのは、私の為ではない。世界の為である。私はその世界に与えられた金をもって、神の御心により働く者である』と書いています。のちに26歳で父親のあとを継ぎ倉敷紡績の社長に就任した彼は、石井十次の理念を自分の会社でも実現するかのように、紡績工場で働く工員の福利厚生に力を注ぎます。初等教育も受けていない工員たちのために、工場内に学校を建てたり、衛生面や家族の為に住居を提供したり、病院(現・倉敷中央病院)も造ってしまいます。社長でありながら、人事課長も兼ねてそれらを遂行するほどでした。そして、事業を大きく発展させていきます。また、父親の代から同郷の苦学生に奨学金も支給していました。その中で、当時、東京芸大で画家を目指していた学生だった児島虎次郎との出会いがあります。孫三郎は児島の実直でまじめな人柄に惹かれ、支援を約束しました。その後二人は生涯の友として親交を重ねました。当時、孫三郎22歳、児島21歳でした。そして、児島はヨーロッパに留学します。その後、日本人に本物の絵を触れさせたいとの児島の熱意に孫三郎が動きます。莫大な資金が孫次郎から提供され、世界の有名な多くの絵が倉敷の田舎町に来ることになります。日本で初めて倉敷の小学校で催された世界の有名絵画展に日本中から多くの人が集まります。児島虎次郎自身も日本を代表する画家の一人でしたが、彼の死後、早すぎる死(虎次郎享年47歳)を悼んだ孫次郎が、彼の絵と彼の集めた絵を治める美術館を建設しました。当時、日本社会は日露戦争の影響で不景気でした。会社は大反対です。しかし、『私の目には10年先が見える』と言い切り、立派な大原美術館が倉敷に誕生します。驚くべきかな、この孫三郎の予言が的中します。事前に国際連盟の調査団によりエル・グレコの『受胎告知』をはじめとする、モネやゴーギャンなど世界有名絵画が倉敷にあることを知られていたために、太平洋戦争中、京都や奈良と同様に倉敷は爆撃対象から外されたのです。まさしく大原美術館が倉敷を救ったのでした。同門の経済学者の大内兵衛が言います。「金を儲けることにおいては、孫三郎よりも偉大な経済人はたくさんいた。しかし、金を散ずることにおいて、高い理想を掲げながら、それに成功した経済人で、孫三郎ほど成功した人物はいない」。・・・『人のために、世のために、我が財産と我が一生を捧げん』これが孫三郎の信念でした。1943年1月18日孫三郎は戦時下の倉敷で62歳の生涯を閉じました。神に出会い、イエス様にすべてをおゆだねし、人生を転換した彼は、与える生涯を使命としたのでした。

さて、今日私に与えられた聖書のメッセージです。

マルコ10 章27節『イエスは彼らを見つめながら言われた。「人間にはできることではないが、神にはできる。神は何でもできるからだ。」』・・・イエス様と出会った人物の中に、ある金持ちの青年がいます。彼はイエス様に駆け寄って、ひざまずいて尋ねます。「善い先生、永遠の命を受け継ぐには、何をすればよいでしょうか」。そうすると、イエス様は、ユダヤ人が昔から守ってきた十戒の後半部分の戒めを言われます。「殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、奪い取るな、父母を敬え」。「先生、そういうことはみな、子供の時から守ってきました」と青年が当然のごとく答えます。そしたら、イエス様は彼を見つめ、慈しんで言われました。「あなたには欠けているものが一つある」と。さて、このひとつ足りないとは何でしょうか。具体的に説明されます。「行って持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、私に従いなさい」。・・家に帰って持ち物をすべて売り払い、私について来なさい。・・金持ちの青年は、このイエス様の言葉に気を落とし、悲しみながらその場を立ち去りました。とても無理だと即座に思ったからでした。聖書は、この青年がたくさんの財産を持っていたからだと付け加えています。そして、そのあと「財産のあるものが神の国に入るのは、なんと難しいことか。金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい」とイエス様が弟子たちに話されました。この言葉を聞いた弟子たちは、「それでは、だれが救われるのだろうか」と互いに言いました。彼らは、「ああ、よかった。私たちは貧乏人だから、私たちには、それほど難しいことはありませんね」とは言いませんでした。しかし、弟子たちは、その職業も家族も捨てて、主に召し出されて、主と同じ貧しさに徹した生き方をしていたのです。それでも、自分たちも金や富かを捨てることができない思いに囚われていたのでしょう。いったい、誰が救われるのか。私たちもまた、弟子たちと同じように問いたくなります。そこで、イエス様は言われました。「人間にはできることではないが、神にはできる。神には何でもできるからだ」と。青年には確信がありました。小さい時から信仰を持っていて、戒めをきちんと守って立派な生活をしてきました。財産もあり十分の一は神様にささげ、あるいは貧しい人々を支えるために施しもしてきたでしょう。いわば、90点まで点を取っているんだけど、満点まではいかない。あと10点足りない。その10点を、いったいどこでどのようにして取ったらいいのか、それを教えてください、と主に尋ねたのです。そんな青年に、イエス様は、青年の生き方そのものを、根底からひっくり返すような言葉を発せられたのです。つまり、『どんな小さなことでも、自分ができると思うな』と言われたのです。自分ができると思うな、神の力によってさせていただくということです。私も若い頃、同じような錯覚に陥ったことがありました。あと何と何をすれば完璧なクリスチャンになれるだろうかと聖書を調べたものです。そこには、イエス様の存在はありません。ただ、自分の力に頼る信仰があるだけです。「あなたたちは聖書の中に永遠の命があると考えて、聖書を研究している。ところが、聖書は私について証しをするものだ」(ヨハネ5:39)とイエス様は言われました。神様の存在を信じ、そのご支配に身をゆだねる生き方です。イエス様にすべておゆだねする、その人生の転換を私たちの人生の使命とするのです。イエス様はこの青年と会われる前に、子供たちと出会っておられます。人々がイエス様に触れさせていただきたいと子供たちを連れて来ました。弟子たちはこれを叱って止めたのです。しかし、イエス様は憤り、弟子たちに言われました。「子供たちを私のところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。はっきり言っておく。子供のように神の国を受入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない」(マルコ10:14,15)。この子供たちはイエス様に抱かれ、抱かれるままでした。神の恵みに抱かれたままです。イエス様に身をゆだね、子供のように全部自分を明け渡してしまうこと、それがイエス様にお会いする道でありコツなのです。

 
 
 

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