top of page
検索
  • 執筆者の写真耕司 大平

イエスの叫び!

2023年11月18日(土)   「イエスの叫び!」   LT(Loving Time)大平耕司

イエス様が誕生される直前のユダヤ人たちは、メシア(救い主)を強く待ち望む風潮にありました。なぜでしょうか?紀元前63年に、エルサレムが占領され、パレスチナ全土もローマ帝国の属州となりました。そのあと、紀元前37年にローマ軍の助けを得たヘロデは、武力によりエルサレムを支配しました。その領土は、ユダヤ地方だけに留まらず、北はガリラヤ地方からサマリアも含む広大なものでした。そして、彼は、ローマ帝国に絶対的な忠誠を誓うことで、王位を維持し続けるのでした。軍事力をもってユダヤの地を手中に収めたヘロデの治世でしたが、比較的平和であり、国は繁栄していきました。こうした安定を背景にヘロデは、ローマの援助を得て、大規模な土木工事を次々に行いました。サマリアをローマ風都市へと作り変えたり、エルサレムの神殿とその丘を全面的に改修して美しい都へと変えたりしたのです。しかし国民はヘロデを良くは思っていませんでした。ヘロデの国家繁栄の象徴が次々と建てられた裏には、重い税をかけられるユダヤの人々の苦痛がありました。そしてなによりヘロデはユダヤ人ではなく、ローマに尻尾を振る不敬虔な外国人(エドム人:エサウの子孫)だったのです。それに加えて極悪非道な専制君主としての反感もありました。彼はユダヤ人の元王族(ハスモン家)の女性マリアンメを妻としていましたが、その妻と息子二人のみならず親族を含むユダヤ人貴族を大量粛清しています。ヘロデの死後、これを継いだアルケラオは、暴虐であったため紀元6年にローマから罷免され、ヘロデ一族のユダヤ支配は終わりました。しかし、ユダヤ人の自治は回復されることなく、ローマの直接支配となるのでした。

一方、社会の変化に伴って、ユダヤ教にも変化が現れてきました。ローマの影響で流入するヘレニズム哲学とユダヤ教の教えを融合させ、両者の調和を図る動きが起こりました。その反面、律法を文書化して伝統を風化、散逸しないように保存する動きも現れていました。この結果、紀元前二世紀末頃から民族団結のユダヤ教は、次第に分派が始まってきました。その分派の主流派の一つはサドカイ派です。主に貴族祭司層や地方貴族・地主によって構成され、政治的、宗教的、社会的支配権を掌握していました。トーラー(モーセ五書)のみを正典として、死者の復活、神や天使による歴史、個人生活への介入を拒否しました。律法を厳格に守るもう一つの主流派がパリサイ派です。最も真摯に信仰を守っているグループでした。律法を日常生活と合わせて解釈し、厳格に守り続けました。ダビデ直系のメシア待望、最後の審判など、旧約聖書にはない教義も持っていましたが、律法に対する解釈の違いから、イエス様と激しく対立しました。この両派で、ユダヤ人自治機関のサンヘドリンと呼ばれる最高法院(大祭司を議長とする70人からなる議会)を構成していました。また、かたくなに排他的な立場を貫く宗派も存在しました。エッセネ派は、厳粛な制約を遵守して、都市部を離れて共同生活をしていました。固有の暦を持ち、日常は祈祷、律法研究、農工などをして生活しました。死海文書もこのグループによって残されたものとされています。さらに好戦的なメシア論を持つ集団も存在しました。熱心党はユダヤがローマの属州にされたのを機に、反ローマの武力闘争を開始した急進派です。神のみがイスラエルの支配者だと主張して、ローマ皇帝の像を刻んだ貨幣も偶像として拒絶し、ローマに対する納税も拒否しました。長期に渡って、抵抗を続けて、マサダにおいて悲劇的最後を迎えました。こうした状況にあってイエス・キリストの誕生前のユダヤ人は、自分たちを解放してくれる救世主を待ち望んでいたのでした。

*******************************************************************************

今日私に与えられた聖書のメッセージです。

マラキ書1章2a節『私はあなたたちを愛してきたと、主は言われる。しかし、あなたたちは言う。どのように愛を示してくださったのか、と。』・・・マラキは、紀元前400年頃活躍した預言者でした。神の民ユダ王国が滅ぼされ、バビロニアに捕囚の民になっていたユダヤ人が、次の支配国ペルシャによって解放され、ユダの地に帰還してから100年以上が過ぎていました。その間にエズラやネヘミヤの活躍によって、荒廃していたかつての都エルサレムと神殿が再建されていました。たて続けに為された、この大きな神の奇跡に対するユダヤ人の感謝の気持ちはもはやさめて、礼拝は形式主義に陥り、律法軽視の雰囲気が漂っていました。そして、神は続けて言われます。「エサウはヤコブの兄ではないかと主は言われる。しかし、私はヤコブを愛し、エサウを憎んだ。私は彼の山を荒廃させ、彼の嗣業を荒れ野のジャッカルのものとした。たとえエドムが、我々は打ちのめされたが、廃墟を建て直す、と言っても、万軍の主はこう言われる。たとえ彼らが建て直しても、私はそれを破壊する、と。人々はそれを悪の領域と呼び、とこしえに、主の怒りを受けた民と呼ぶ。あなたたちは、自分の目で見、はっきりと言うべきである。主はイスラエルの境を超えて、大いなる方である、と」(マラキ1:2b~5)。このように述べられて、神が民を愛してきた理由を話されました。それは、ユダヤ人の祖先であるヤコブに言及されました。神の民がイスラエル人と呼ばれるようになった背景は、ヤコブが「これからはイスラエルと呼ばれる。お前は神と人と闘って勝ったからだ」(創世記32:29)と神から宣言されてからでした。「そのヤコブを愛したからだ」と神は言われました。ヤコブの兄、エサウの子孫であるエドム人は、広大な土地を所有し、ダビデ王の時代まで敵対して、イスラエルの国を悩ましてきましたが、最後まで繁栄することはできなかったと神は言われます。しかし、イスラエルの民は、たび重なる迫害に遭遇して、国も滅び、王も立てられなくなり、ほそぼそとながらでも生き延びてきた。そして、このように神殿再建も果たされたのを目の当たりにしながらも、あなたがたは私への信仰を示さないと神は言われます。と同時に、冒頭で書きましたが、その後、待望の救い主イエス・キリストが生まれる時に、またもや神の民を迫害しているエドム人(エサウの子孫)のヘロデに対しても預言をしておられます。ヘロデは、うわべ上ではエルサレム神殿を建て直しましたが、その一族はやはり神により滅ぼされてしまいました。それも神の一方的な無条件の愛によって、為された業だと神は言われます。その神の愛のご性質をしっかりと世に現わされたのが、救い主イエス・キリストの生涯でした。・・アダムとエバ以来、アブラハムを経て、神の民であるイスラエル人の歩みは、放蕩息子のように神の愛を離れては失敗して戻るという罪人の歴史でした。そのたびに、父なる神は、忍耐強く放蕩息子を愛し、温かく胸に抱き直してくださる愛を示して下さったのでした。自らの罪により、一度は放蕩にふけりエゴの欲望に浸りながらも、奈落の底に突き落とされ瀕死で苦難の中を歩み、傷つき、涙を流し神に立ち返ることを繰り返しました。その極みが、救い主イエス・キリストがお生まれになる直前の彼らの状態に現わされています。なんと人間の罪は、愚かではかないのでしょうか。なんと、バカげているのでしょうか。なんと破廉恥極まりないのでしょうか。人生を積み重ねれば、積み重ねるほど、その愚かな罪が身に染みてくるのは、私だけでしょうか?また、聖書の物語を読めば、その罪を邪悪さが手を取るように分かります。その罪の理解のゆえに、「心が貧しい人々は幸いである。天の国はその人たちのものである。悲しむ人々は幸いである。その人たちは慰められる」(マタイ5:3,4)とイエス様は言われます。エレンホワイトの言葉です。「キリストは、ご自分の生涯と死によって、罪のために生じた破滅から回復するよりももっと大きなことをなしとげられた。神と人を永遠に引き離すことがサタンの目的であった。しかしキリストのうちにあるときに、我々は堕落しなかった場合よりももっと密接に神につながるようになるのである」(各時代の希望上11頁)。イスラエル人のぐちゃぐちゃに混乱した歴史のように、また終末の現代のこの世の中のように人間の罪が極みに達した時に、イエスの人の罪(サタンの仕業)に対する憎しみの叫びが愛の叫びに代わります。「父よ彼らを赦してください。自分が何をしているのか知らないのです」(ルカ23:34)と。不平不満で生きるよりも、神に感謝して、信仰に立ち返りましょう。

閲覧数:1回0件のコメント

最新記事

すべて表示

偶然の命ではない!

2024年4月27日(土)   「偶然の命ではない!」  LT(Loving Time)大平耕司 『このなぜ存在しているか分からない一度の不思議な人生、生きてて日々感じる言葉では表しにくい感情を、サックスで音として、または作曲して音楽を発信し、そこに共感して下さる方の人生に何か意味を持って頂けた時に、それはおこがましくも文化になり得るだろうと感じております。なので今の僕からでも消えずに進んでいける

人生の目的とは?

2024年4月13日(土)   「人生の目的とは?」   LT(Loving Time)大平耕司 先日、妻と二人で近くの銭湯に行きました。470円という安い昔ながらの銭湯です。しかし、泉質は温泉なのです。とても温まります。さて、その晩銭湯から帰り食事をしたあとに、ふと石鹸箱を忘れたことを妻が思い出しました。銭湯が閉まる21時ちょっと前だったので、急いで銭湯に行きました。しかし、時遅くしっかりと銭湯

イエスの奇跡!

2024年3月9 日(土)    「イエスの奇跡!」   LT(Loving Time)大平耕司 ある日、ホリーさんは、予約していた娘の誕生日ケーキをお店に取りに行きました。すると店員は「別の女性が支払ってくれました」と言ったのです。「あら、本当? 私を知ってる人?」「いいえ、でもメモが残されています」。メモにはこう書かれていました。「息子のネヘミヤは今日、8歳になるはずでした。息子を偲ぶのに、私

bottom of page