エレミヤの哀歌!
- 耕司 大平
- 2023年10月21日
- 読了時間: 7分
2023年10月21日(土) 「エレミヤの哀歌!」 LT(Loving Time)大平耕司
アブラハムが神様から指示されて、信仰の旅路へと導かれた土地は、地中海東側沿岸のカナンの地(現在のパレスチナ地方)でした。そこが旧約聖書の舞台になりました。その地がいまや大変なことになっています。以下はそのニュースです。
『パレスチナのイスラム組織ハマスは7日朝、前例のない規模の攻撃をイスラエルに対して開始した。何百人もの戦闘員が、パレスチナ自治区ガザに近いイスラエル領内に侵入したのだ。 イスラエル政府によると、これまでに少なくとも1300人の死亡が確認された。200人近い兵士や民間人(女性や子供を含む)が拉致され、人質にされてガザ地区へ連行された。 この攻撃を受けてイスラエル軍はガザ空爆を開始。パレスチナの保健当局は17日、これまでに約3000人が死亡したと発表した。』(Yahoo ニュース10/18(水) 11:44より)
それに対して、読者のコメントが載せられていました。その一部を紹介します。
『もう国を動かす人達だけで紛争でも戦争でもすればいい。権力者たちは戦いも死にも財産も失う事がないのに、何の非もない国民や弱者が全ての犠牲を強いられるのは本当に理不尽極まりないし、こんなに犠牲が出るような政策や宗教や信仰に何の意味があるのか理解できません。日本も他人事では決してありませんが、武力行使の政策しか出来なくなるくらいなら政治家だけでやり合ってほしいと切実に願います。』
『戦争は本当に悲惨です。テレビで映像を見ていると、特に子供の泣いている姿は 見ているだけで涙が出てきてしまう。いま世界中が戦争の危機に遭遇していますが 指導者は冷静になり無駄に命を落とすことのないように考えてほしい。』
もっともな意見だと思います。私もこの信仰を持つ前は、外国の一神教は怖いと思っていました。侵略や戦争を繰り返す悪い宗教だと感じていたのです。聖書の物語において、世界の始まりの舞台がこのように血で血を洗うような、悲惨なことがいまだに続いているというのですから、誰もが疑問に思っても仕方ないことだと思います。
パレスチナとは、ペリシテという言葉から派生しました。旧約聖書時代の紀元前1,000年頃、それまでは一介の羊飼いだった青年ダビデが敵の武将巨人ゴリアテと戦い、ダビデが放った石が相手の眉間に当たり、一発で巨人を倒しました。有名なお話です。その敵であるゴリアテは、ペリシテ軍でした。また、その戦った地が、ペリシテ軍が統治していたガザでの出来事だったのです。また、このペリシテ人は、アダムとエバの子孫、ノアの箱舟で有名な、ノアの子供のひとりであるハムの子孫です。また、イスラエル人(神の民、現在のユダヤ人)とは、ノアの別の息子セムの子孫です。聖書では、アダムとエバを最初
に神様が造られ、彼らの子孫である人類は、みな兄弟というわけですから、当然といえば当然ですが・・。そして、イスラム教とは、紀元610年にできた宗教で、旧約聖書を聖典としています。だから、ユダヤ教と聖地(エルサレム)は同じだというわけです。おもしろいですね。しかし、神様はどうしてこのような悲惨なことを赦されたのでしょうか?
聖書を読み解いていくと、そこに人類の罪と神の愛が照らし出されていきます。神の愛によって人間は造られました。でも、そこに悪魔が関わってきます。つまり、神の愛に疑いを持った天使長ルシファーが人間をも巻き込んで、神の愛に対する戦いを挑んできました。『永遠に透明で私利私欲なしの純粋な愛なんて存在しない』というわけです。人間を神の愛の支配から引き離し、自己を中心とする罪に陥れ、その人間に裏切られ十字架刑で死に渡される神(イエス・キリスト)において、罪を暴こうというわけです。しかし、イエス様の生涯において、神から離れて自己中心の罪を犯すことは一切ありませんでした。反対に、自己犠牲の日々を歩まれ、病んでいる人、苦しみの中の人々に寄り添い、慈しみと癒しを与えられました。そして最後は、十字架上での死の直前、苦しみの中自分を刺し通した人間に対して、「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」(ルカ23:34)と無我の愛を示されたのです。この人類は、敵意と殺戮を繰り返してきました。アダムとエバの堕落以来、その背後に悪魔の支配があります。このニュース以後、世界各地の国々ではイスラム教の人々の大規模なデモが起こっています。その中でも驚愕したのは、青年が惨殺された赤ちゃんの写真をカメラに向け、喜びながら「ユダヤ人は死ね!」と叫んでいる姿でした。人間はひとたび罪の装置に悪魔が働きかければ、誰でも残虐になれます。ロシアとウクライナの戦争でも、背後に暴利と権力をむさぼるアメリカの組織(ディープステート)がいます。その実態は超左翼の破壊組織なるローマカトリックの存在があるのです。彼らの前身はあの世界帝国古代ローマです。現在はその姿は敬虔なキリスト教の衣を着ていますが、世界制覇という野望はそのまま続いています。今回のガザ地区でのハマスのイスラエル侵入事件は、東側と西側の勢力争いの一端にすぎないものです。しかし、その最前線で犠牲になるのは、何も知らない一般市民であり最も弱い子供たちです。情報社会において、個人の選択には大きな結果が負わされています。
今日私に与えられた聖書のメッセージです。
エレミヤ29章10,11節『主はこう言われる。バビロンに70年の時が満ちたなら、私はあなたたちを顧みる。私は恵みの約束を果たし、あなたたちをこの地に連れ戻す。私は、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。』・・・これは、神の民ユダ王国がとうとう滅ぼされ、新バビロニア王国に連れ去られた神の民イスラエル人に対する神の預言です。いわゆるバビロン捕囚という大事件の時に、預言者エレミヤに与えられたものです。預言の通り70年後にバビロンから返されるのですが、かつてダビデそしてソロモンに与えられた祝福の神の王国が、北イスラエルとユダ王国に分かれその後は堕落の一途をたどった末路です。このユダ王国滅亡に先立つ100年以上前に、すでに北イスラエル王国はアッシリア帝国により完全に滅ぼされました。ヨナの預言に表されたように、アッシリア帝国に神の憐れみが下り、それ以後も預言者ホセヤやイザヤに与えられた神の警告にも、耳を傾けず悔い改めなかった神の民の結果でした。ユダ王国の最終の時代、エホヤキム王は、エルサレムを破壊から救うために新バビロニア隷属することを決めました。こうしてユダ王国はかろうじて独立国の体面を保つことを許されたものの、王族ほか一万人がバビロンに強制連行されました。紀元前605年の第一回バビロン捕囚です。そして、王はエホヤキムから最後の王ゼデキアに代わりました。屈辱に耐えかねた王は、エジプトと組んでバビロニアを攻撃する策略に加担しました。エレミヤの糾弾によって一度は思い直すものの、反バビロニア派に扇動されたゼデキアは結局バビロニアを裏切ってしまいます。怒ったネブカドネザル王は、再びエルサレムを包囲します。三年間に及ぶ厳しい攻防の末、エルサレムはついに陥落、破壊されてしまいます。ゼデキアは、目の前で子を殺され、自身は両目を奪われて捕虜となったのです。ゼデキア以降、ユダは王を立てることは許されなくなり、ユダ王国は滅びます。そして第二回バビロン捕囚(前598年)が行われました。エレミヤも連行されましたが、途中で釈放されると、エルサレムに戻りました。また、エレミヤは、エルサレムの滅亡を嘆き悲しみつつ、「哀歌」を書き残しています。同時に彼は災難と破壊は、神が人々と新しい契約を築こうとしている準備であることに気づきます。・・『それゆえ私は泣く。私の目よ、私の目よ、涙を流すがよい。・・私は愛した人に呼びかけたが皆、私を裏切った。私の祭司ら長老らは、都で息絶える。命をつなごうと、食べ物を乞いながら。御覧ください、主よ、この苦しみを。胸は裂けんばかり、心は乱れています(哀歌1:18~20a)・・災いも、幸いも、いと高き神の命令によるものではないか。生身の人間が、ひとりひとり、自分の過ちについてとやかく言うことはない。私たちは自らの道を探し求めて、主に立ち帰ろう(同3:38~40)』・・災いは、人間の罪の結果です。悪魔が背後にいます。しかし愛の神はイエス・キリストに従う者を永遠の命へと導き直されるのです。罪を悔い改めて神の希望に生きましょう!
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