キリストにふれた!
- 耕司 大平
- 2022年7月9日
- 読了時間: 7分
2022年7月9日(土) 「キリストにふれた!」 LT(Loving Time)大平耕司
1862年、新渡戸稲造は、明治政府が誕生する6年前に、岩手県盛岡藩士の三男として生まれました。明治10年16歳になった時、祖父以来の開拓事業を引き継ぐために札幌農学校(現・北海道大学)に入学しました。プロテスタントの敬虔なクラーク博士の感化により同期の内村鑑三と共に入信しました。なぜ彼らはキリスト教に入信したのか。不思議に思いますが、キリスト教の根本的な精神は、質素倹約を旨として、自律・自助・勤勉・正直をモットーにする「自己の確立」を養成するものでした。それは武士道の人格形成と相通じるものがあったのです。武士社会が崩壊し「君主」がいなくなったいま、その代わりとして「神」という新しい主を得たのです。その違いは、武士道には「神」と「聖書」がなかったことにあります。・・さてその後、彼はアメリカとドイツの大学で農政学・農業経済学などを専攻します。留学中にクエーカー教徒(プロテスタント)となりました。そして、同じ教派のアメリカ人女性と結婚します。その期間のエピソードですが、大学教授から宗教教育が日本の学校で教えられていないことに大変驚かれました。彼があらためて考え直してみると、自分も含めて、人の道たる教えが、学校で習ったものではなく、小さい頃からの教えで自然と身に付いた武士道の教えだと気づきました。彼が26歳の時です。その後、帰国して札幌農学校の教授として働きます。その間に、夫婦とも体調を崩しカリフォルニア州で休養をします。それが日本をあらためて見つめ直す機会となります。そして、外国に向かって、日本男児の心に宿る伝統的精神を『武士道』の名において集大成しました。英語で書き上げましたが、やがて、フランス語、ドイツ語など各国語にも翻訳されて、ベストセラーになります。セオドア・ルーズベルト大統領らに大きな感銘を与えます。その後、当時の台湾総督府(下関条約によって割譲された領有国)の佐藤新平総督の依頼により、台湾に農業技師として招聘されます。サトウキビによる製糖と砂糖貿易を軌道に乗せます。列車の線路を引くなどインフラ事業を進め、今日の台湾の発展の基礎を築きました。その経験をもとに、帰国後、東京帝国大学教授、第一高等大学校長(現東大教養学部)などいくつかの大学を歴任します。
彼は、『武士道』を「武士階級の身分に伴う義務」と定義づけています。つまり、武士は直接生産に従事しない支配者階級であるがゆえに、正しい人間の道というべき倫理規範を身につけ、庶民になり代わって社会の平安と秩序を守り、民の模範となるように、それらを実践して生きることを義務づけられた、ということです。
一般に儒教の説く徳目は「五常の徳」といわれ、「仁・義・礼・智・信」です。具体的には、「人には優しくあれ」「正直であれ」「嘘をつくな」「卑怯なことをするな」「約束を守れ」「礼儀正しくしろ」「創意工夫しろ」「信頼を裏切るな」などの教えにつながる道徳のことです。しかし、『武士道』では、「義」をトップの地位に置いたのです。そして、「勇・仁・礼・誠・名誉・忠義」という順で説明しています。この「義」(正義)が守られなければ、嘘が飛び交い、不正がはびこり、秩序ある社会など築けません。武士の行動哲学は、農工商の上に立つ者として、正義をモットーに、私利私欲に走らず、不正と名誉のためには死をもってあがなうことをみずから義務づけ、民の見本となったのです。
新渡戸稲造自身、5歳の時の「袴着の儀」つまり武士の仲間入りの儀式の時のことを書いた日誌があります。そこにはこう書かれてありました。「私が、5歳に達した時に士になる儀式が行われた。初めて袴を着け、初めて刀を帯び盛装して集まった親戚一同の居並ぶ真中にしつらえた基盤の上に私はのせられ、刃のびかびか光る短刀を帯にさしてもらったとき、全身をしゅーんとしたものが貫くように感じ、自分がえらく重要な者になった感じがした」そして、後にこう語っています。「危険な武器を持つことは、一面、彼に自尊心や責任を抱かせる」。・・『武士道』の本質は、日本人が身につけた生き方そのものであり、実質は、聖書の神のみ旨を実践されたキリストの生き方そのものだったのです。
*******************************************************************************
今日私に与えられた聖書のメッセージです。
ルカ10章20節『しかし、悪霊があなたがたに服従するからといって、喜んではならない。むしろ、あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい。』・・・イエス様は、72人の弟子を任命し、二人ずつ組みにして各地方に送り出されました。その際に「収穫は多いが、働き手が少ない」と宣教の大切さを説いておられます。そして、最初に12人の弟子を宣教活動に送り出された時と同じように、「病人をいやし、死者を生き返らせ、重い皮膚病を患っている人を清くし、悪霊を追い払」(マタイ10:8)う力を与えられました。そして、この個所で興味深いのは、この72人が宣教旅行から帰って来た時のイエス様の反応でした。彼らがこのようにイエス様に話しました。「主よ、お名前を使うと、悪霊さえも私たちに服従します」。そうしますと、イエス様は、「私は、サタンが稲妻のように天から落ちるのを見ていた。蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を、私はあなたがたに授けた。だから、あなたがたに害を加えるものは何一つない。しかし、悪霊があなたがたに服従するからといって、喜んではならない」と言われて、最後に、奥義を話されました。「あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい」(ルカ10:17~20)。ここで、イエス様は、「確かにあなたがたは勝利を経験した。だが、高慢に陥らないようにいなさい。なぜなら、かつて、天使の長であったルシファーも高慢に陥り、そのために天から追放されたのだから」と高慢に対する警告と謙遜の大切さを話されました。私たちの最高の栄誉は、何を私たちが為したかではなく、神が私たちのために何をしてくださったかです。そして、イエス様はさらに驚くべき反応を示されました。「そのとき、イエスは聖霊によって喜びにあふれて言われた」(ルカ10:21a)とあり、イエス様が喜びの感情を表されたのです。とても珍しい箇所です。それは、「これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して幼子のような者にお示しになりました。そうです。父よ、これは御心に適うことでした」(同10:21b)と、素直に受け入れる心の大切さを喜ばれたのです。そして、さらに大きな祝福は、「すべてのことは、父から私に任せられています。父のほかに、子が誰であるかを知る者はなく、子と、子が示そうと思う者のほかに父が誰であるかを知る者はいません」(同10:22)。イエス様は他の個所で、「あなたたちは聖書の中に永遠の命があると考えて、聖書を研究している。ところが、聖書は私について証しをするものだ」(ヨハネ5:39)と言われており、「神がどのような方であるかを知りたければ、私を見なさい」と信仰の本質を語られました。そして、「あなたがたの見ている目は幸いだ。言っておくが、多くの預言者や王たちは、あなたがたが見ているものを見たかったが、見ることはできず、あなたがたが聞いているものを聞きたがったが、聞けなかったのである」(ルカ10:23,24)と、イエス様ご自身が全歴史の完成であることを語られました。これは、聖書学者のように理論的にイエス・キリストについて研究し知るということではなく、愛のイエス様ご自身に直接触れて神を知ることにほかならないのです。
先日、信仰深い御高齢の教会員のところにお見舞いに行きました。長く住み慣れた住宅から、老人ホームに引っ越されたからです。信仰の友であり最愛の夫から先立たれて、長くお一人で暮らしておられ、身体に自信を持つことが困難になったからでした。彼女はこのように言われました。この先の不安と混乱の中、「引っ越しのために準備をしているとき、急に体全体があたたかくなり、心の中に『主はやさしい』という感情が溢れました」と。キリスト信仰とは理屈ではなく、「キリストに触れた」生き方そのものなのです。
Comments