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主イエスとの出会い!

  • 執筆者の写真: 耕司 大平
    耕司 大平
  • 2022年10月28日
  • 読了時間: 7分

2022年10月31日(土) 「主イエスとの出会い!」 LT(Loving Time)大平耕司

 『主よ、今こそあなたは、お言葉どおりこの僕を安らかに去らせてくださいます。私はこの目であなたの救いを見たからです。これは万民のために整えてくださった救いで、異邦人を照らす啓示の光、あなたの民イスラエルの誉れです。』(ルカ2章29~32節)

イエス様がお生まれになって40日たった時に、イエス様は両親のヨセフとマリアに連れられてエルサレムの神殿に来られました。どうして40日かと言いますと、赤ちゃんを産んだお母さんの身体がきよくなったと当時の人が考えたからです。『それは、主の律法に、「初めて生まれる男子は皆、主のために聖別される」と書いてあるからである』(同23節)。それは、特に長男は、神のものだということをはっきり宣言するためでした。日本でも、子どもが生まれると宮参りをします。当時ノンクリスチャンだった私もそうしました。日本の神道はユダヤ教の習慣とよく似通った点が不思議と多々あります。エルサレムの神殿も多くの人々が子どもを連れてきていました。その中で普通の貧しい夫婦に抱かれたイエス様がいました。別に赤子のイエス様から光が輝いていたわけではなかったのです。ところがその幼子の正体を見抜いた人たちがいました。年老いた二人の老人です。 シメオンとアンナです。冒頭の聖句を語ったのはシメオンでした。高齢の人だと分かります。また、アンナは女預言者で84歳だったと書いてあります。二人にとって、救い主に出会ったという生涯で最大の事件が起こったのです。現在、日本では高齢化社会が進んでいます。その大きな問題点は何でしょうか。やはり生き甲斐の問題でしょう。ただ、何か楽しい習い事やサークル等に入って、死への恐怖を忘れさせる日々を暮らしている人が多いのではないでしょうか。

このシメオンとアンナはどうだったのでしょうか。彼らは人生をごまかして生きていませんでした。シメオンは幼子イエスを抱いて「神さま、どうぞもう死なせてください。私の人生は満ち足りています!」と言ったのです。彼は、イエス様を抱いたときに聖霊に満たされて、自分の人生が充実しきっていることを感じました。アンナも同じでした。若い時に嫁いでから7年間夫と暮らしましたが、夫と死に分かれ、84歳になっていました。20代で一人になり、それから約60年間、神様の宮を離れませんでした。アンナは自分の不幸を嘆きながら宮を離れなかったのでしょうか。そうではありません。悲しみの人であったからこそ預言者として神様と人に仕えて生きたのでした。矛盾と悲しみだらけの生涯から神様の御心を尋ね、救いを祈り続けました。シメオンも同じです。「私はこの目であなたの救いを見たからです」と語り、神の救いを待ち望む思いがありました。「これは万民のため、異邦人を照らす救い」とも語り、全世界の救いのために祈っていました。そしてさらに、母親マリアを襲う悲しみまで預言しました。「あなた自身も剣で刺し貫かれます」(同35節)。シメオンもすぐに死んでしまいます。そして今自分が抱いているこの子もやがて死にます。しかも、その死に方は、母マリアを深く悲しませるような死に方でしかありません。しかし、そういう悲しい、つらい死を経験してくださることによって、私たち人類に真実の光をもたらしてくださいます。それをシメオンは見抜くことができました。シメオンは実際に安らかに死ぬことができたと思います。イエス様にお会いすることができた人間は、誰もが、安らかに死ぬことができました。生まれたばかりのこれから生きて行くイエス様が、もうその人生の最後に至っていたこの二人の年寄りに抱かれながら、この二人の老人に安らかな死を与えておられます。本当に不思議な、しかしイエス様にお会いするということが、どんなに素敵なことかということを良く物語っています。二人の生涯のすべての問題や苦難がこの一瞬のイエス様との出会いによって、全部満たされたのです。私たちは、このために命を頂きました。イエス様との出会いにより、この世の一生など比べものにならない愛に満たされた永遠の命という祝福を与えられるのです。

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今日私に与えられた聖書のメッセージです。

マルコ2章5節『イエスは彼らの信仰を見て、その病人に、「子よ、あなたの罪は赦された」と言われた。』・・・この病人は、年をとって脳溢血か何か、そういう病気になり体が不自由な人でした。ですから、噂を聞いてイエス様に会いたいと思ってもそこに行くことが出来ない人でした。それを知った周りでお世話をしていた家族の人々か、友人たち4人が彼をイエス様のもとに運んできました。ところが、イエス様は広い教会堂で説教しておられたわけではありません。一般の小さな民家です。戸口まで人で溢れてすきまもないほどでした。当然、入ることができません。4人は困ってしまいました。そしてひらめいたのが、屋根にあがることでした。イエス様が立っておられると思われる場所にいって、そこに穴を開けてしまいました。これはとんでもないことでした。簡単な建付けだったかもしれませんが、大勢がいる上の天井ですから、はがした屋根材やほこりがばらばらと身動きできない人々の上に降ってきたことでしょう。イエス様にこう叱られても仕方がなかったかもしれません。「話が終わり私が外に出てくるまで、待っていたらよかったではないか」と。しかし、イエス様は目の前に病人がおろされてきたのをごらんになった時に、どうなさったでしょうか。たいへん大切なことが書かれています。「イエス様は彼らの信仰を見て・・・」。病人の哀れな姿をごらんになって憐みの心を抱かれたとは書いてありません。そうではなく、乱暴なやり方ではありましたが、必死になって病人をご自分の前に吊りおろした人たちの信仰を見られたのです。この4人の人たちは、もちろん、自分の救いをこの時は忘れていたでしょう。ただとにかく、いつも自分たちの心にかかっているこの不自由は者を何とかして救いたい。手も動かない、足も動かない。見るに見かねて、何とかしてあげたいという思いで夢中だったのです。ですから、迷惑をかけることを承知で屋根をめくってしまうという乱暴なことまでしました。「このイエス・キリストというお方にお願いすれば何とかなる、何とかなるはずだ。イエス様、どうぞお願いします」というひたむきな、病人をご自分のところに運び込む信仰を見て、イエス様は、病人の病気を治してくださいました。イエス様にお会いできたのは、この病人だけではありませんでした。この人を連れてきた人々こそ、イエス様の素晴らしい恵みにめぐりあう喜びを体験したのです。このときの喜びは、大きなものでした。私たちは自分の問題が改善することにもちろん喜びを感じますが、それ以上の喜びは、自分たちの奉仕によって相手が回復し最高に喜んでいる姿を見ることです。しかし彼らは、病気が癒されるのを見ただけではありませんでした。「子よ、あなたの罪は赦された」。その罪まで赦されてしまいました。魂まで救われたのです。つまり、彼らの信仰が病人をイエス様のところに運び、救ったのです。彼らは、ただとにかく、あの方のところに運びさえすれば、何とかしてくださるとひたすらより頼む思いがありました。そして愛が促すままに屋根をはがしたのです。

 私の妻が8年前にガンで亡くなりました。その時にたくさんの方々が告別式に来てくださいました。その皆様に感謝したいと思います。しかし悲しいことに、その中で、この8年の間に亡くなった方々もいらっしゃいます。そのたびに何かむなしさを感じて生きてきました。もちろん、この歳まで生きると、親や兄弟、親戚、知人の死に幾度となく参列しました。また、牧師という職業柄、教会員の告別式の司式もたくさんやってきています。人生はあっという間であることを身にしみて実感しています。皆様もそうでしょう。だからこそ、私たちは家族のために、愛する隣人の救いのために一生懸命に奉仕し、イエス様のもとにお連れするのです。・・弟子の一人がイエス様に従う前に、父親の葬式に行かせてくださいと言いました。そしたら、イエス様は「死んでいる者たちに、自分たちの死者を葬らせなさい」(マルコ2:22)と言われ、生きていても神に出会ってなければ、死んだ者だと断言されました。日々イエス様と出会い、隣人を愛へと届けることが、私たちの生きた人生です。愛は永遠に残ります。私たちは永遠にその命に留まり続けるのです。

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