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  • 執筆者の写真耕司 大平

人生を神にゆだねる!

2024年1月13日(土) 「人生を神にゆだねる!」  LT(Loving Time)大平耕司

今日私に与えられた聖書のメッセージです。

マタイ5章5節『柔和な人々は幸いである。その人たちは地を受け継ぐ』・・・イエス様がその公生涯の一番最初に話された山上の説教にて、神の国へ入るための8つのステップの第三段目です。第一段目は、『心の貧しい人』すなわち、自分は神から離れた存在であり、自分は霊的に貧しい者であること、その現実を認めるというステップでした。自分には神を演じるという問題があることを認めることです。そして第二段目は、『悲しむ人』、つまり、このどうしようもない罪が自分に宿っていることの無力さに悲しむ者は、幸いなのです。なぜならば、神の助けを求めるからです。その希望を持つというステップでした。イエス・キリストに現わされた愛の神を信じ、私は無力でも神には力があり、また喜んで私を助けてくださるということです。しかし、神が助けてくださる方であることを頭で思っているだけでは不十分です。具体的に行動を起こす必要があります。ですから、第三段目は、『私の人生のすべてをイエス・キリストにゆだねる』というステップになります。それが『柔和な人』につながります。真の心の平安は、神の愛にすべてをゆだねた時におとずれます。これは、マタイ11章28~30節の御言葉に基づいています。『疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛(くびき)を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。』



 

 イエス様は、大工の仕事をしていました。伝説によると、


イエス様は、牛のくびき造る名人だったそうです。くびきと

は、荷物を複数の家畜や人間の首に固定して、一緒に決まっ

た仕事をさせるための道具。あるいは、牛馬の首にあてて車

を引かせる横木のことです。木で造っていたために、牛の首

にぴったりはまらないと、すりむけたりして首を痛めてしま

います。ですから、イエス様は私たちにぴったりはまるくびきを造ってくださいます。

このくびきとは、ここでは「服従する、支配させる」といった比喩(意味)があります。

 エレン・G・ホワイトはこのように言っています。『この世の標準に達しようとして、心配の重荷に心を痛めている人が多い。彼らは世の奉仕を選び、世のわずらいを受け入れ、世の習慣をとり入れた。こうして彼らの品性はそこなわれ、人生は疲れはてたものとなる。野心と世俗的な欲望を満足させるために、彼らは良心を傷つけ、悔恨というよけいな重荷まで背負いこむ。たえまない心配のために、生活の力はすりへって行く。主は彼らがこの束縛のくびきを放棄するように望まれる。イエスはわたしのくびきを負いなさいと彼らを招いておられる。』 (各時代の希望・中、50頁)

私たちが『柔和な人』になれない原因は何でしょうか?まず、私たちの中にあるプライドです。『破滅に先立つのは心の驕(おご)り』(箴言40:12a)とあり、『主は信仰のある人を守り、傲慢な者には厳しく報いられる』(詩篇31:24b)とあります。信仰にはプライドは必要ありません。必要なのは、傲慢につながるプライドではなく、『名誉に先立つ謙遜』(箴言40:12b)なのです。その次の原因は、罪責感です。何度も失敗し、もう一人の立派な自分が自分を責める心理です。「あなたは立派なクリスチャンでしょ?なぜそんなことができないの!」と責めるのです。イエス様は、「立派なあなたは存在しません。神のみが立派であり完全なのです。あなたという偶像(神)を立てないでください」と言われます。私たちは、自由という特権を持っています。自分を真の神に支配させないなら何か別のものに支配されてしまいます。自分(罪責感)や他人の評価、心の傷、悪習慣、親の価値観、心の悩みなどです。自由とはいったい何でしょうか?自由とは、だれがあなたをコントロールするかを選ぶことです。キリストの愛にすべてをゆだねる時、私たちは真の自由を得られるのです。・・さらに私たちを困難にさせるのが、思い煩いです。聖書には、『思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい。神があなたがたのことを心にかけていてくださるからです』(Ⅰペテロ5:7)とあります。鹿児島のわらべ歌に、『泣こかい、跳(と)ぼかい、泣こよかひっ跳べ』という言葉があります。子供たちが小川を跳び越える遊びの時に歌います。つまり、困難に出会った時は、あれこれ思い煩わずに、とにかく跳ぶことを決断し、行動に移しなさいという意味です。あとは、神様が何とかしてくださるという信仰が大事です。そして最後が、疑いです。神にゆだねられず、心が柔和にならない最後の原因は、神の力を疑うということです。ある父親が病気にかかった息子をイエス様のもとに連れてきました。そして、「あなたがおできになるなら、息子を癒してください」と願いました。そして、イエス様が、「できればと言うのか」と指摘されたら、父親は、「実は、私の心は疑いでいっぱいです。でも私は信じたいのです。不信仰な私を助けてください」と謝りました(マルコ9:24)。私たちはいつでも、自分の信仰が小さいから願いが神に効かれないと思い悩みます。しかし、それは我々の傲慢さの表れです。イエス様は、「からし種ほどの信仰があれば、・・あなたがたにできないことはない」(マタイ17:20 b)と言われました。問題は、私たちの信仰の大きさではなく、信じる対象の大きさ、つまり神の偉大さなのです。小さな信仰であっても、偉大な神を信じるなら、大きな結果が返ってくるのです。

さて、では、『人生を神にゆだねる』という、このステップに取り組むにはどのようにしたらいいのでしょうか?まず大切なことは、イエス・キリストを救い主として受け入れることです。聖書には、『主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます』(使徒言行録16:31)とあります。ありのままの自分自身を、イエス・キリストにゆだねるということです。それだけでいいのです。そして二つ目が、神の御言葉を人生の基準として受け入れるということです。聖書は、人生の歩みを導くマニュアル(取り扱い説明書)のようなものです。『聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ、人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をするうえに有益です』(Ⅱテモテ3:16)とあります。そして、三つ目が、神の御旨(考え)を人生の指針、目標として受け入れることです。毎朝、「イエス様、この朝を感謝します。今日、私が何をすべきかを教えてください」と祈りましょう。偉大な王であったダビデは、『私の神よ、御旨を行うことを私は望み、あなたの教えを胸に刻みます』(詩篇40:9)と祈りました。そして、四つ目が、神の力を自分の拠り所として受け入れることです。聖書には、『私を強めてくださる方(イエス・キリスト)のお陰で、私にはすべてが可能です』(フィリピ4:13 )と書かれています。

パイロットは計器飛行か有視界飛行のどちらか飛行機を操縦します。天候が悪い時は、計器飛行を選び、天候がいい時は、自分の目で見て操縦する有視界飛行を選ぶのが普通です。この元日、羽田空港で飛行機同士の悲惨な事故がありました。夜だけど天候が非常に良かったためにそれが仇になったと専門家が答えていました。その夜は、旅客機は良く視界の開けたC滑走路に侵入してきました。昼間でしたら滑走路上に海上保安庁の飛行機が目に留まったはずですが、滑走路上は誘導路の電灯だけが見えて保安庁の機体は灯していた小さな光だけしか見えなかったのではないか?計器と管制官に頼るのが足りなかったのでは?と。・・私たちも自分の力だけではなく、神の計器飛行と管制官であるイエス様の配慮と導きに自らを明け渡しましょう。それが災いを回避し人生を神にゆだねる秘訣です!

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