十字架の解放!
- 耕司 大平
- 2023年2月18日
- 読了時間: 7分
..2023年2月18日(土) 「十字架の解放!」 LT(Loving Time)大平耕司
いよいよ、ユダヤ人の祭司など指導者がイエス様を十字架刑に処する算段を固めて、その当時ユダヤ地方を治めていたローマ総督に訴え出ました。そのイエス様への告訴の理由は三つありました。まず、ユダヤ民族を惑わし、民を扇動して暴動を起こしたこと。次にローマ皇帝に税を納めることに反対したこと。最後に、イエス様ご自身が自分をユダヤ人の王と称したこと、でした。しかし、ローマ総督のピラトには、その罪は認められませんでした。明らかにユダヤ民族の捏造であることは明白でした。彼はローマの栄光である公平な正義に則って有罪判決を避けようとしました。ピラトは4つの方法でイエス様を助けようとしたのです。彼はユダヤ人にこの問題を自分たちで処理するように言いました。そして、この事件全体を、ガリラヤ地方の領主であるヘロデに任せようとしました。また、ユダヤ人を説得して過越祭の恩赦としてイエス様を放免させようとしました。最後に、妥協案を出して、イエス様をむち打ち刑にして釈放するように勧めました。しかし、ユダヤ人たちは、ビラトを脅してイエス様に対する死刑を宣告させたのです。彼らは、今まで公平ではなかったピラトのいくつかの失政をローマ皇帝に報告するぞと脅したのでした。広大な帝国を有しているローマ政府にとっては、内紛は断じてゆるすことのできない重大事だったのです。ピラトの無罪工作は、一つ二つと失敗に終わります。それで、イエスを釈放しようと提案したところ、その反動として、バラバを解放せよとユダヤ人たちが叫び出しました。予期せぬ反応でした。このバラバという人物は、ユダヤ人の中でも熱心党の指導者であったと言われています。ユダヤ人同士の暴動か、ローマ支配に対しての暴動か分かりませんが、その首謀者でした。そのバラバを釈放し、イエスを十字架にかけろという声が次第に大きくなりましたが、ピラトは三度目においても、もう一度鞭で打ってイエスをゆるしてやろうと提案します。しかし、人々の叫びは大きくなるばかりでした。「そしてついに、その声がまさった」。異常に興奮しわめきたてる群衆は、今にも暴動を起こさんばかりの激しい調子でした。ピラトは暴徒化しようとする群衆の圧力に屈しました。
バラバとは、バル・アバすなわち「父の息子」という意味であり、イエス様は、「父なる神の子」であるのに対抗する名前です。つまり、ユダヤ人は、父なる神の子イエス様を選ぶのではなく、単なる父の息子バラバを選んだのでした。これは罪の身代わりの偉大なる神の愛とやがて迫り来るエルサレム(ユダヤ)の破滅の両極端の明暗を現しています。
さて、今日私に与えられた聖書のメッセージです。
ルカ23章34a節『その時イエスは言われた。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」』 ・・・さて、ピラトは興奮している民衆に、暴動のかどで自分がローマ帝国からの処分されるのを恐れ、イエス様を鞭打ってから、十字架につけるために引き渡しました。その様子が聖書にこのように書かれています。
兵士たちは、官邸、すなわち総督官邸の中に、イエスを引いて行き、部隊の全員を呼び集めた。そして、イエスに紫の服を着せ、茨の冠を編んでかぶらせ、「ユダヤ人の王、万歳」と言って敬礼し始めた。また何度も、葦の棒で頭をたたき、唾を吐きかけ、ひざまずいて拝んだりした。このようにイエスを侮辱したあげく、紫の服を脱がせて、元の服を着せた。そして、十字架につけるために外へ引き出した。そこへ、アレクサンドロとルフォスとの父でシモンというキレネ人が、田舎から出て来て通りかかったので、兵士たちはイエスの十字架を無理に担がせた。そして、イエスをゴルゴだという所――その意味は「されこうべの場所」――に連れて入った。没薬を混ぜたぶどう酒を飲ませようとしたが、イエスはお受けにならなかった。それから、兵士たちはイエスを十字架につけて、その服を分け合った。だれが何を取るかをくじ引きで決めてから。(マルコ16章16~24章)
兵士たちのイエス様に対する扱いは、とても侮辱的でした。神への信仰心のない、恐れを知らない態度に、皇帝礼拝という人間への崇拝の愚かさの象徴を見たような気分です。その彼らは、前夜の裁判で連れまわされ、疲労困憊しているイエス様を鞭でたたき、十字架を担がせて、いちばん長い道を通って刑場まで行進させられました。あらゆる路地を歩かせ、町中の人々に恐るべき見せしめとするためでした。イエス様は途中で力つき十字架を担げなくなりました。その時、兵士は代わって運ぶ者を探しました。国外遠くから来たキレネ人のアレクサンドロとルフォスの父シモンを見つけ、無理やり十字架を担がせました。キレネという町は、北アフリカにあり、彼は過越しの祭りのためにはるばる来ていたのでした。使徒パウロの書いた聖書のローマの信徒への手紙6章13節に、このような言葉が記されています。「主に結ばれている選ばれた者ルフォスおよびその母によろしく。彼女は私にとっても母なのです」。パウロにとってルフォスの母親は、自分の母親のような大切な存在でした。そのルフォスと母親はローマにいるのです。このルフォスとシモンの子供のルフォスが同一人物だという見解があります。そうしますと、やがてエルサレムから北アフリカのキレネに戻ったシモンは、妻や子供に、自分が思いがけずかかわった事件を物語ったことでしょう。やがて、この家族がローマに移り住んで、パウロやペトロから十字架の恵みを語る説教を聞きました。そして、この家族もキリストの弟子となり、自分の十字架を背負ってイエス様の弟子となりました。そのように十字架のつながりと広がりを考えることは、現在の私たちに繋がる、不思議な神様の導きを思わないではおられません。イエス様の生涯において、イエス様に関わった人々はたくさんいます。そのひとりひとりに大きな神様の恩恵がありました。その恵みを受け取るか否かはそれぞれの自由意志に関わることですが、それでも不思議な力があるのをこの物語は教えています。つまり、暴動の首謀者で捕らえられ、殺人の罪で裁かれ、その先は死刑執行であったバラバが突然釈放されました。しかも、無罪のイエス様が死刑になったから自分が釈放されたのです。キレネ人のシモンも突然群衆の中から引き出され、無理やり十字架を背負わされました。両方とも自分からではないのです。強制的に従わされたのです。それでも、神様の恩恵を被ることができました。いずれにしても、神様の偉大な祝福は限りないことを教えられています。十字架の解放は、理屈抜きにすべての人に訪れることを覚えましょう。
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