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天の道と人の道!

  • 執筆者の写真: 耕司 大平
    耕司 大平
  • 2022年5月14日
  • 読了時間: 7分

2022年5月14日(土) 「天の道と人の道!」    LT(Loving Time)大平耕司

 大事をなそうと思ったら、小さな事でも怠らず努力することだ。すべてのものごとは小が積もって大となる。ところが、小人物にかぎって最初から大きな事を欲し、小さな事を怠るものだから、結局は何でもできないで終わっている。「二宮翁夜話(第十四条)」

 二宮尊徳(1787~1856年)は、相模国足柄上郡栢山村(現在の小田原市栢山:かやま)に生まれました。通称は金次郎です。生家は豊かな農家でしたが、近くを流れる酒匂(さかわ)川のたび重なる氾濫で田畑を流され破産しました。14歳で父を、16歳で母を亡くし、親戚の家に預けられた尊徳は、早朝から深夜まで働く傍ら、寸暇を惜しんで勉学に励みました。夜に勉強するために、荒地に菜種を植えて菜種油を採り、明かりを得たという話もあります。また、開墾した荒地に捨て苗を植えて収穫を上げるなどして貯蓄します。田畑を買い戻して24歳までに一家を再興しました。その後、彼は江戸末期の荒廃した農村を全国で600か所あまり再建しました。その再建方法を「報徳仕法」といいますが、それは単なる再建というより、生活改善、土木事業、水稲改良、貯蓄奨励、金融など、日常生活のあり方から教育までを独自のやり方で指導するもので、尊徳は、その実績をもって一介の百姓から小田藩藩士、やがては幕府の役人まで上り詰めた人物でした。今日でも尊徳の教えは報徳運動と呼ばれ、受け継がれています。彼の業績を伝える本として、福住正兄(ふくずみまさえ)著の『二宮翁夜話』(にのみやおうやわ)があります。この“見聞録”は、22歳の正兄が59歳の尊徳に入門してから5年間秘書役としてそばで仕えていた時の記録です。尊徳は、いわゆる書物からの学問を嫌いました。つまり「実学の思想」でした。それは彼自身が農民であり、政治をつかさどる武士と違って、自然を相手にする農民を相手にしているからです。農民は具体的でなければならないし、自然現象に観念論など通じないからです。「この世には、人の道を説いた書物は数えきれないほど出ているが、一つとして完全なものはない。これは釈迦も孔子もみな人間だからだ。儒学だって四書五経だって、仏教のお経だって、みな人間が書いたものだから、書いた人の癖が出てしまっている。だから私は、私自身で万物が生じる天地自然の道というものに当てはめてみて、間違いのないものだけを採用し、間違っているものは採用しなかった」(八十七話)。とても自信あふれた言葉ですが、これは彼が50数年間の人生の中で、大自然と戦いながら、真理は人から教わるものではなく自分で得るものだという、確固たる信念があったからでしょう。第二の特徴として有名なのが「天道人道論」です。これは天地自然の法則を「天道」と呼び、これを正しく認識したうえで人の力を尽くすことを「人道」と呼んで、人の世の原理原則を示したものです。これまでの聖賢の思想というものはすべて“天の道”であり、それは太陽の運行と同じように絶対不変なものである、というのが儒学などの教えでした。でも彼は、天道に対して人道というものを設定して、明確に区別しました。 「天理からみるなら、すべて善も悪もない。その証拠に、天理のままにしておけばみんな荒地となって原始の昔に帰ってしまう。それが天然自然の道だからである。天理は稲と雑草の区別をしない。すべて平等である。種あるものはみな生育させ、生気あるものはみな発生させる。むろん人道は天道に従っているが、その中で善と悪とに分けている。人の食べる米や麦を善とし、雑草を悪としている。つまり、人々に役立つものを善とし、役に立たぬものを悪とする。そこに人道と天道の違いが出てくる。だから人道というものは、ほうっておくと自然の状態に戻ってしまう。そこで人は政治を行い、教えを立て、刑法を定め、礼法をつくり、やかましく、うるさく世話をやくようにして、人道を成り立たせているのだ。人道を天地自然の道のように思うのは大きな誤りである」(二話)。尊徳の時代は江戸後期、すでに神道・仏教・儒教などの体系的思想はありました。しかし、彼が見るかぎり、世の中は人心が乱れ、御政道もままならず、田畑は荒廃しきっていました。それは神・仏・儒の思想が、現実に苦しんでいる農民の生活を救っていないことの証明でした。そこで尊徳は農民にわかるようにと「人道」のあることを教えたのです。尊徳の唱えた、「勤労・分度・推譲」の思想は戦前日本の模範的な倫理観とされました。「私の報徳の道は、勤・倹・譲の三つである。勤とは、衣食住に利用できるあらゆるものを骨身を惜しまず生産すること。倹とは、その作り出したものを有効に活用し無駄にしないこと。そして譲とは、衣食住の三つを他に譲りおよぼすことである。ただし、この譲にはいろいろあって、今年のものを来年のために蓄えるのも譲、子孫に譲ったり、親戚、朋友、郷土、国家のために譲るのも譲である。その人の分限においてできるだけ多くを譲るようにしなければならない。勤・倹・譲の三つはかなえの三本足のようなもので、一本でも欠けたら報徳の道は立たないことになる」(続四十三話)

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今日私に与えられた聖書のメッセージです。

マタイ7章21節『私に向かって、「主よ、主よ」という者が皆、天の国に入るわけではない。私の天の父の御心を行う者だけが入るのである。』・・・イエス様は、十字架におかかりになる週に、神殿の境内で人々に教えておられると、祭司長やパリサイ派の人達に、二人の息子のたとえを話されました。「ところで、あなたたちはどう思うか。ある人に息子が二人いたが、彼は兄のところへ行き、『子よ、今日、ぶどう園へ行って働きなさい』と言った。兄は『いやです』と答えたが、後で考え直して出かけた。弟のところへも行って、同じことを言うと、弟は『お父さん、承知しました』と答えたが、出かけなかった。この二人のうち、どちらが父親の望み通りにしたか。」彼らが「兄の方です」と言うと、イエスは言われた。(マタイ21:28~31a)。この中で、父親は神様を意味し、ぶどう園は教会を指します。そして、二人の息子は、2種類の人々をあらわしています。命令に従うことを拒み、「いやです」と言った息子は、公然と罪のうちに生活し、信心を口にすることもなく、神の律法の課する制限と服従のくびきに従うことを拒否する人々をあらわしています。しかし、これらの人々の多くは、後に悔改めて、神のご要求に従いました。「悔改めよ、天国は近づいた」(マタイ3:2)というバプテスマのヨハネのメッセージによって福音を伝えられた時、彼らは悔改めて、罪を告白しました。「お父さん、承知しました」と言って、行かなかった息子は、祭司長やパリサイ派の人達の性格をよくあらわしています。彼らはユダヤ全体の支配層の人達で、政治家でもありました。この息子のようにユダヤの指導者たちは、悔改めが何かを知らずに、強いうぬぼれを持っていました。ユダヤ民族の宗教生活は、うわべだけのものとなっていました。シナイ山で神の声がおきて(十戒)を宣言した時、すべての民は「参ります」と言いましたが行きませんでした。聖書の預言のとおり、救い主イエス・キリストがおいでになって、一番にその預言の成就を受け入れなければならないユダヤの指導者層でした。しかし、彼らにその証拠が十分に示されて、それを明らかに認めながらも、その証拠を受入れませんでした。だから、イエス様は、「はっきり言っておく。徴税人や娼婦たちの方が、あなたたちより先に神の国に入るだろう。」なぜなら、ヨハネが来て義の道を示したのに、あなたたちは彼を信ぜず、徴税人や娼婦たちは信じたからだ。あなたたちはそれを見ても、後で考え直して彼を信じようとしなかった。」(マタイ21:31b~32)。徴税人や娼婦は無知でした。それに反して、ユダヤの宗教指導者たちは真理の道を知っていました。それにもかかわらず、彼らは天国への道を歩もうとせず、世俗の地位、名誉や欲望やお金の誘惑に惑わされて、天の道を見出せずに盲目になっていました。反対に、この世に望みを失った徴税人や娼婦たちには、天への道の光が差し込んできました。イエス様が、人の道に立ちはばかる罪への解決を与えてくださったからです。なんとわかりやすく、愛に溢れた道案内でしょう。現在の世の利権絡みとマスプロ教育の劣悪な社会情勢にあって、いかに自分たちの子供や子孫にとって最上のものを残してやれるか?いつまでも残るものはイエス様の愛なのです(Ⅰコリ13:13)。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                           

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