完全な者になりなさい!
- 耕司 大平
- 2022年3月19日
- 読了時間: 6分
2022年3月19日(土) 「完全な者になりなさい!」 LT(Loving Time)大平耕司
第二次世界大戦中、ユダヤ人大虐殺を行ったナチに立ち向かった人物に、オランダのアドベンチストであった、ジョン・ワイドナーという人がいました。彼は、オランダ・フランス地下組織創設に参加し、そのリーダーとなりました。彼の地下組織は、やがて三百以上になり、オランダからベルギー、フランスを経てスイスにユダヤ人避難民を逃がすルートやスペインに逃がす他のルートなどを作りました。スイスのジュネーブの近くのコロンジェにあるアドベンチスト大学は、避難民がスイスに抜けるためのオランダ・パリ作戦の重要地点として機能しました。彼はこう言っています。
「戦争が始まった時、いかに人々を助けるかが課題でした。私は、彼らを助ける方法はあると思いました。ナチは、ユダヤ人がスイスに逃れようとしているのを知っていたので、フランスとスイスの国境は固く防御されていました。避難ルートを作るにあたり、道路は避け、山の一方の側から他方への崖を降りる抜け道を発見しました。ユダヤ人を助けることは非常に危険で、簡単なことではありませんでした。私たちは、避難ルートに沿って一晩か二晩休むことができる安全な場所を探し、さらに彼らに食べさせる食物を手に入れなければなりませんでした」。
彼は地下組織の指導者として、ナチ・ゲシュタボの指名手配のトップにランクされ、ナチから最も危険視された人物の一人でもありました。彼は五回もナチに逮捕され、拷問を受けましたが、五回とも奇跡的に脱出に成功したのでした。五回目に逮捕された時、没収された彼の衣服の中にあったのは、銃ではなく聖書でした。それを知ったナチの若い兵士がそっと近づき、「クリスチャンか」と聞いてきたのです。そして、「クリスチャンを尊敬する」と告白したのです。十日間の耐えがたい拷問の苦しみにある時、この兵士は見つからないようにして食事を差し入れてくれました。密かに話し合ううちに、やがて二人の間に友情が芽生えてきたのです。十日目の晩、この兵士から、彼の処刑が次の朝に決定されたことを知らされました。しかし、この兵士の計らいによって、彼は次の日の未明、牢獄からの脱出に成功したのでした。
ワイドナーは戦後、米国に移住しました。彼は、自らの戦争体験をほとんど語ることなく、彼の周りの人たちも、彼の業績については知ることもなかったのです。彼の親しい友人の報告により、初めてみんなの知るところとなり、彼はアメリカ政府とユダヤ人団体から最高の栄誉ある賞を受賞したのでした。彼はこう言っています。
「人生において私たちは選択を迫られます。自分のことだけ考えるか、他の人たちのことを考えるかという選択です。私たちの頭脳を啓発することは重要ですが、もっと重要なことは、私たちの心を啓発すること、そして苦しんでいる人たちに対して心を開くことです。私自身についていえば、ごく平凡な人間にすぎません。ただ、隣人を助けたいと思っただけです。それが、神から私に授けられた使命だったのです。もし英雄がいるとすれば、それは神です。神が、その任務を遂行できるように私を助け、自分の義務を果たすように助けてくださったのです」。 ****山形憲二著「負わされた十字架」より参照***
ワイドナーの愛と勇気と使命に生きる姿に感動を覚えましたが、これは過去の事だと安心できませんね。なぜなら、現在、ロシアとウクライナの間で信じられない戦争が起こっています。少しでも早くこの戦争が収束することを願ってやみません。この瞬間も、一生懸命、奉仕している同胞がいることを感謝し、彼らのために祈っていきたいと思います。
今日私に与えられた聖書のメッセージです。
マタイ5章48節『だから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。』・・・イエス様は、パレスチナ地方をくまなく回られ、多くの人々のありとあらゆる病気や苦しみを癒されました。そして、ヨルダン川上流のガリラヤ湖畔のなだらかな丘の上から、イエス様は『愛』の教えの中心点、本質、神髄を弟子たちと群衆に教えられました。それを『山上の説教』と読んでいます。それが.新約聖書の最初の記事マタイ5章~7章に記されています。その中でも、この個所(マタイ5章43節から48節)は、最も中心的で、最も有名な箇所です。ここで、イエス様は「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」(同44節)と言われます。なぜならば、あなたたちは、今まで反対に「隣人を愛し、敵を憎め」(同43節)と教えられているからだと。もちろん、それは私たち人間の罪の性質においては無理もないことでした。
さて、この『敵を愛せよ』という難解な教えはどうしたら実行できるのでしょうか?ここで、イエス様が教えられた愛とは「神の愛」、すなわちギリシャ語でアガぺ―というものでした。これは私たちの持っている「人間的な愛」、すなわちギリシャ語でエロスというワガママで条件付きの愛とはかけ離れています。神の愛は、条件がありません。つまり相手がこちらのことを敵として、ののしり、悪いことをしても、一方的に赦し愛する、無条件の愛というものです。その反対に、私たちは相手がこちらに好意を持ったり、味方になってくれるから相手を愛するのです。あるいは、自分の家族や友人だから相手を愛するという、条件付きの本能的な愛しか持っていません。
イエス様は、敵であろうが、自分を苦しめ傷つける者に対しても、相手を神の愛にて愛しなさいと言われます。つまり、相手に慈悲を持とうと、意志をしっかり優先させなさいということです。もっと詳しく言うなら、自分の本能である感情は選ばずに、イエス様の愛を選び取り行動することになります。なぜならば、イエス様が私たちを心から無条件に一方的に愛してくださり、私たちの自己中心的な罪の身がわりとなられて、永遠の滅びに甘んじてくださったからです。その真の愛の衣で覆われた私たちは、罪を贖われて、永遠の天国へと蘇る約束を頂きました。そこに救い(福音)があります。
そして、この個所の教えの最後に「あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい」と言われたのです。ここで間違ってならないのは、『完全』という言葉です。つまり、『完全=罪のない状態』ということではありません。この完全とは、ギリシャ語では、テレイオスで、「成熟した」「円熟した」あるいは「大人である」という意味です。この言葉は、『ゴール』『目的』『目標』と訳されるテロスという名詞に由来しています。
私たちは、イエス様を見て、キレイキレイな聖人君子を想像しがちですが、イエス様の真の姿はそうではありませんでした。イエス様は常に汗にまみれ、罪びとの苦しみや愚かさに寄り添い、涙され、罪びとの思い煩いの重荷を代わりに負われ、いつも歩きまわられ、ホコリまみれになり、家もなく寒さや暑さだけではなく、敵の迫害や嫌がらせにも耐えられました。その最後は、ご自分の同胞である神の民ユダヤ人から裏切られ、十字架にかかり、両手両足に大きな釘を打たれ、わき腹から心臓に至るまで槍で突き刺されました。その死の苦しみは、この世のどんな刑罰よりもつらいものでした。それに加え、滅びゆく我が子である人間たちの事を思い、憐れみの重苦しさに心を締め付けられていました。
『完全になりなさい』とは、「自分だけがキレイキレイになって、自己満足した愚かな罪人でいなさい」ということではありません。人々の救いのために、このボロボロになられたイエス様の姿に倣いなさいということです。私たちのボスは、このイエス様です。だからイエス様を知れば知るほど、この世のなにものよりも大好きになり、イエス様に似る者となりたいと心から願うようになるのです。何はなくても、それだけで満足なのです!
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