top of page
検索
  • 執筆者の写真耕司 大平

希望・確かに未来はある

2023年12月2日(土) 「希望・確かに未来はある」 LT(Loving Time)大平耕司

明治20年(1887年)の4月、1人の孤児を救ったのが始まりでした。もう卒業まぢかというときに、神様のみ霊の導きを受け、医学書を全部焼いて、医者にならず、孤児院のために全生涯を献げる決心をしたこの人、石井十次は、その生涯で3,000人の孤児を救い、立派に神様の事業を成し遂げました。宮崎県が生んだ偉大なクリスチャンです。彼は宮崎県の高鍋藩の下級武士の家に生まれましたが、人々に施しを惜しみなく与える両親に影響を受け心優しい性格の持ち主に育ちました。こんなエピソードがあります。小学校一年生の頃、いじめられていた貧しい友達がいました。その子は着物の帯の代わりにワラ縄を締めていました。十次は自分の帯を友達にあげて自らはワラ縄で家に帰ったそうです。母親はそれを怒るどころか、良くやったと褒めてくれたそうです。愛の心はやがて神との出会いに繋がります。ある時に知り合ったドクターによりキリスト教を紹介されます。そして19歳でバプテスマを受けクリスチャンになりました。しかし、その生涯は苦難、艱難の連続でしたが、あるとき、このような出来事がありました。明治38年、日露戦争が終わった年、東北地方が大凶作に見舞われました。人々は食うや食わずの生活を強いられます。当然、そのつけは子供たちに回ってきます。口減らしのために、人に売られたり、ひどいことには、捨て子にされてしまったり、多くの子供たちが助けを必要としていました。そのことに心を痛めた石井十次は、受け入れようとしますが、収容人数の数倍の数です。最後はどうも受け入れられなくなりました。とうとう、十次自身も腸チフスにかかり、熱をだして寝込むありさまです。「どうしよう。ひもじさと寒さを、じっと我慢している子供たちが、自分たちに手をさしのべて、救いをまっている。自分の力のなさが、情けない」。布団の中で十次は苦しみます。当然、祈らずにはおれませんでした。「神様、お力をください」。高い熱で、目もあけられない十次でしたが、床の上に座って、祈り始めました。その時、十次の前に、不思議な幻があらわれました。イエス様が、輝くような白い衣をまとい、真にやさしい、おちついたご様子で、大きな籠(かご)を背負って、立っておられました。それで、十次は、後ろに回って、その籠のなかをそっとのぞいてみますと、なかには、何百という子供がいっぱい入っていました。そして、イエス様の籠を囲んで、十次の回りには20人くらいの大人がいて、籠の外に立っている子供を、つぎつぎに抱いて、かごの中に押し込んでいきます。それで、十次は、もう中はいっぱいだから、入れてはいけないと、一生懸命止めるのですが、とうとう、その子供たちを全員入れてしまいました。そうすると、イエス様は、後ろを振返って、「もうすんだのか?」というような穏やかなお顔をされました。そして、その後、静かに歩きはじめられました。それで、十次は、すぐにその籠の底に手をかけて、イエス様と一緒にその籠を運んで行きました。そのとたん、幻はふっと消えました。と同時に、十次の熱はさがり、目がさめたように、幻のわけをさとりました。「私があまり心配するので、イエス様が、『そんなに心配するな。おまえはこの孤児院を自分で背負っていると思って、心配している。この孤児院は初めから、おまえが見たとおり、わたしが背負っている。あの子供たちのように、入れればいくらでも入れられる。心配しないで、ただあるだけの力を出して、かごの底に手をかけて、手伝いさえすればいいのだ』と言ってくださっている」。そのように、悟った十次はすぐに子供を受け入れるために手を打ちます。そうすると、不思議と、寄付金や収容施設、働き人が集まり、全ての子供たちを受け入れることが出来たのです。この神様と共に歩んだ人、石井十次は大正3年1月30日、午後2時に神様に召されました。48歳でした。天皇陛下は、この石井十次危篤の知らせに、特旨をもって、正七位を贈られました。

さて、今日私に与えられた聖書のメッセージです。

ヨハネ14 章1~3 節『心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、私をも信じなさい。私の父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたを私のもとに迎える。こうして、私のいる所に、あなたがたもいることになる』・・・イエス様は、十字架にお架かりになる前の晩の最後の晩餐の時にこのように言われました。天国の説明をされた箇所です。この個所に少し変な言い回しの箇所があります。「私の父の家には住む場所がたくさんある」の次です。「もしなければ、あなたがたのために、場所を用意しに行くと言ったであろうか?」という言い回しです。いかがでしょうか。・・種明かしはこうです。たとえばある所に橋があって、渡って行ったら、途中で橋がぷつんと無くなっていた。つまり、イエス様は、「天国という場所は確かにあります。もしなかったとしたら、先に『天国などない』と言うはずです。渡って行ったら、途中から橋がなかったなどと、そんな空約束は、決してしません」と言っておられるのです。

 弟子たちに対して、イエス様が今後起こることへの心構えをお話しておられる個所です。当時、弟子たちを含むユダヤ人たちは、永遠の命を生きる天国のことにおいて現実的に信じていたわけではありませんでした。中にはサドカイ派のように命の復活などないとはっきりと言い切っていた人たちもいました。どちらかというと、過去の栄光であるイスラエル王国の復活を目指していました。この世の天国です。そのほうが人間的に信じやすかったのです。しかし、その後、弟子たちの様子が明らかに変わった場面を聖書は伝えています。実は、歴史家が聖書の中で最も大きな謎があると指摘している箇所があります。その謎とは、・・イエス・キリストの十字架の時、弟子たちは自分たちの先生を見捨てて、全員逃げ去りました。弟子たちはみんな臆病で、意気地がない臆病者でした。彼らは、自分も捕まり処刑されるのではないかと恐れた弱い人達でした。しかし、一週間もたたないうちに、突然こう語り出したのです。「神に聞き従うよりも、あなたがたに聞き従うほうが、神の前に正しいかどうか、判断してもらいたい。私たちとしては、自分の見たこと聞いたことを、語らないわけにはいかない」。歴史家は、これがキリスト教史最大の謎だというのです。なぜ臆病だった人々が、命を惜しまず、イエス・キリストの証しを始めたのか、不思議だと言うのです。自分たちの先生であるイエス様が、あんなひどい殺され方をしたのに、数十日たったら3千人、5千人と増えていきました。その数は70年後に100万人になっていたのです。彼らは何かを体験しました。何か強烈なものを目撃しました。だからもう恐れませんでした。その強烈な体験とは、『十字架で死なれ、墓に葬ったはずのイエス・キリストの蘇りであり、復活したイエス様との再会』だったのです。イエス様は、『心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、私をも信じなさい』と前もって語られ、弟子たちの体験後に、『永遠の世界を語り伝える』備えをしてくださっていたのです。

私たちの大先輩の千葉芳吉牧師がこのように述べています。『人が天国を持つとき、この世で何が失われようと、実はそれは少しも失われていないのです。天国はそれほど豊かなのです。人に遅れることがなぜ口惜しいのでしょう。人に捨てられることがなぜ悲しいのでしょう。過去の失敗がなぜいつまでも悔やまれるのでしょう。しかし、天国を持つ者には、それはみな旅先のことにすぎません』。・・・永遠の世界に向かって歩む旅人だからこそ、石井十次やその奉仕を助けたライオン創業者の小林富次郎、クラボウ立役者の大原孫三郎などクリスチャンの偉大な働きがそこにあったのです。聖書に『永遠を思う心を人に与えられた』(コヘレト3:11)とあるように、愛の神様はその思いが実現するからこそ私たちに『永遠にこの人と一緒にいたい』と愛の感情をお与えになったのです。さあ、私たちには希望があります。確かに永遠の未来があるのです。共に喜び歩みましょう!

閲覧数:1回0件のコメント

最新記事

すべて表示

偶然の命ではない!

2024年4月27日(土)   「偶然の命ではない!」  LT(Loving Time)大平耕司 『このなぜ存在しているか分からない一度の不思議な人生、生きてて日々感じる言葉では表しにくい感情を、サックスで音として、または作曲して音楽を発信し、そこに共感して下さる方の人生に何か意味を持って頂けた時に、それはおこがましくも文化になり得るだろうと感じております。なので今の僕からでも消えずに進んでいける

人生の目的とは?

2024年4月13日(土)   「人生の目的とは?」   LT(Loving Time)大平耕司 先日、妻と二人で近くの銭湯に行きました。470円という安い昔ながらの銭湯です。しかし、泉質は温泉なのです。とても温まります。さて、その晩銭湯から帰り食事をしたあとに、ふと石鹸箱を忘れたことを妻が思い出しました。銭湯が閉まる21時ちょっと前だったので、急いで銭湯に行きました。しかし、時遅くしっかりと銭湯

イエスの奇跡!

2024年3月9 日(土)    「イエスの奇跡!」   LT(Loving Time)大平耕司 ある日、ホリーさんは、予約していた娘の誕生日ケーキをお店に取りに行きました。すると店員は「別の女性が支払ってくれました」と言ったのです。「あら、本当? 私を知ってる人?」「いいえ、でもメモが残されています」。メモにはこう書かれていました。「息子のネヘミヤは今日、8歳になるはずでした。息子を偲ぶのに、私

bottom of page