top of page

愛、報いからの解放!

  • 執筆者の写真: 耕司 大平
    耕司 大平
  • 2023年5月27日
  • 読了時間: 7分

2023年5月27日(土) 「愛、報いからの解放!」   LT(Loving Time)大平耕司

今日私に与えられた聖書のメッセージです。***************************************

ルカ17章10節『あなたがたも同じことだ。自分に命じられたことをみな果たしたら、「私どもは取るに足らない僕です。しなければならないことをしただけです」と言いなさい。』・・・これは、イエス様の「赦し、信仰、奉仕」のたとえの個所(ルカ17章1~10節下記)として語られた最後の一節です。

 イエスは弟子たちに言われた。「つまずきは避けられない。だが、それをもたらす者は不幸である。そのような者は、これらの小さい者の一人をつまずかせるよりも、首にひき臼を懸けられて、海に投げ込まれてしまう方がましである。あなたがたも気をつけなさい.もし兄弟が罪を犯したら、戒めなさい。そして、悔い改めれば、赦してやりなさい。一日に七回あなたに対して罪を犯しても、七回、『悔い改めます』と言ってあなたのところに来るなら、赦してやりなさい。」使徒たちが、「私どもの信仰を増してください」と言ったとき、主は言われた。「もしあなたがたにからし種一粒ほどの信仰があれば、この桑の木に、『抜け出して海に根を下ろせ』と言っても、言うことを聞くであろう。あなたがたのうちだれかに、畑を耕すか羊を飼うかする僕がいる場合、その僕がいる場合、その僕が畑から帰って来た時、『すぐ来て食事の席に着きなさい』と言う者がいるだろうか。むしろ,『夕食の用意をしてくれ。腰に帯を締め、私が食事を済ますまで給仕をしてくれ。お前はその後で食事をしなさい』と言うではなかろうか。命じられたことをしたからといって、主人は僕に感謝するだろうか。・・冒頭聖句・・。」

 ここで語られている「僕」は奴隷の事です。イエス様は、少々きついことを話されたような印象が残ります。それも奴隷制度を認め、その僕の思いまでも無視したような表現がなされています。イエス様のお話としては、ちょっとおかしいような気がします。どんな僕であっても、きちんと働いたら、その労をねぎらってもらうのは当たり前です。それなのに、働いてくたくたになっているのに、自分の食事もできないで、主人の食事の給仕をしたうえ、「私どもは取るに足らない僕です。しなければならないことをしただけです」と言わなければならない。そして、主人はお礼も言わない。これは、僕の人権を完全に無視していると言えます。イエス様は、ここで何をお話されたいのでしょうか。

 イエス様は、最初に赦しのお話をされています。罪を犯した相手に対して、7回の悔い改めの赦しを話されます。弟子たちはたまらなくなり、それは無理だから、「私たちの信仰を増してください」とイエス様に頼みました。するとイエス様が「信仰」についてお話をされています。「からし種」ほどの信仰で十分である、と話されました。さて、人の罪を赦すことほど簡単ではありません。それで弟子たちは、「信仰の強さ」を求めていますが、ここで問題です。よく「私は信仰の弱い者です」と言う人がいます。実際、私たちもそのように思ったりもします。あるいは、「私は信仰の貧しい者です」と言ったりもします。信仰熱心な人を見ると、「ああ、あの人の信仰は立派だ。あの人に比べると自分の信仰は情けない。小さな信仰にすぎない」と思ったりします。イエス様は、そのように思われて言われたのでしょうか。岩のような信仰を持ちなさい。信仰は強くなければならないと言われたのでしょうか?そうではなく、「もしあなたがたにからし種一粒ほどの信仰があれば」と話されたのです。信仰の大小を問題にされているのではなく、ただ信じているかいないのか、それだけを問題にされたのです。それが本物であるかどうかということだけです。そこで、「取るに足らない僕」のお話をされました。

信じるというのは、神に仕えることです。僕として仕えることです。僕というのは、それをするかしないか、のどちらかであって、中途半端な僕であることは、あり得ないのです。神についてのイエス様の教えを少し理解するというのではありません。一日の何時間か、一週間のうちの何時間か、神のことを考え、祈るということではありません。何日か何時間かを割いて、神のため、人のためにボランティアの奉仕をするということではありません。信じるとは神と共に生きていくということです。主なる神に仕えて生きる、そのこと自体が、大きな喜びであり、生き甲斐なのです。

私たちは往々にして、神を主としないで、自分の僕として扱います。私たちのやりたいことを果たせないときに、私たちの希望に応じて、神様の助けを求めます。結婚式をやりたいけれど、神抜きではかっこうがつかないし、そこに神に登場していただきます。キリスト教式はかっこうがいいし、牧師に司式をお願いされるわけです。しかし、結婚式は神に仕える礼拝であるのにもかかわらず、結婚式の主役は新郎新婦であり、神を先頭に他の者は、皆引き立て役でしかありません。夫は妻に仕え、妻は夫に仕え、そのようにして神に仕えるということが心に刻み込まれていません。これは他人事ではありません。私たちクリスチャンの生き方の中にもあるのです。それで、イエス様は、信じることは神に対して僕として生きることであると言われました。神に仕える生き方とは、神が言われた通りに一日働いたその後で、その神が自分にお礼を言われなかったからといって、すぐに腹を立てる生き方なのか?そうではない。一日働いて、さらに主人の食事のお世話までして、しかも自分の労働への報酬を求めない僕の姿が、私たちの姿であると教えておられます。

そのうえ「私どもは取るに足りない僕です。しなければならないことをしただけです」といつでも言いなさいと教えられました。この「取るに足らない僕」とは、自分は無益で無価値、役に立たない僕であるという意味ではありません。神の僕として、神が命じ、委ねてくださった使命に生きることは素晴らしいことです。こんなに有意義な人生は他にありません。何の後悔もありません。だから、その報酬を求めるなんていうのは、論外であり、その資格も持っていません。どんなに立派な仕事をしても、主なる神に対して、これだけの仕事をしましたから、このように報いてくださいと要求することはあり得ないのです。なぜでしょうか?それは、神から命じられたことをしただけだからです。それだけなのです。・・・私の信仰の先輩で先に眠りについたある姉妹がいます。生涯、神への奉仕に生きた立派な人でした。彼女が信仰を持ったきっかけを聞いたことがありました。それは、彼女が最初に聖書を開き、読んだときに納得がいったと言うのです。それは、聖書の最初の御言葉です。「初めに、神は天地を創造された」(創世記1:1)。この御言葉で彼女は心から平安になったそうです。「あ~、やっぱり神様がおられたんだ。そうだった。良かった。これで安心した。私の存在に意味があったんだ。神様は私を愛して命を与えられたんだ」と確信が得られた、と語られました。同じように、ヨブも理屈で自分の神への信仰の正しさを友人たちに証明しようとしました。しかし、いったん神が嵐の中から直接ヨブに語られるとたちまち目が開かれました。「これは何者か。知識もないのに、言葉を重ねて、神の経綸を暗くするとは。男らしく、腰に帯を締めよ。私はお前に尋ねる。私に答えてみよ。私が大地を据えたとき、お前はどこにいたのか。知っていたというなら、理解していることを言ってみよ」(ヨブ記38:2~4)。それに対してヨブは、「あなたのことを耳にしておりました。しかし今、この目であなたを仰ぎ見ます。それゆえ、私は塵と灰の上に伏し自分を退け、悔い改めます」(ヨブ記42:5,6)。ヨブの悩みは一瞬で解消されました。心からの神様の愛情溢れる御言葉に触れ、全ての人間的な罪から解放された瞬間でした。  同じように、私たちも何かにつけて報いを求める生き方を持っています。その報いがなければたちまち空しくなります。しかし、イエス様はそのストレスから解放してくださいました。私たちを愛してくださる神が求めておられるのだから、それだけの理由で愛に生きるのです。義に生きます。そのようにして神に仕えるのです。キリストの教会のために全力を奉げるのです。「私どもは取るに足らない僕です。しなければならないことをしただけです」。これは解放の御言葉であり、神様の私たちへの愛情溢れるみ旨であることを心に刻み込みたいと思います。そこに信仰の喜びがあり、罪からの解放があるのです。

最新記事

すべて表示
偶然の命ではない!

2024年4月27日(土)   「偶然の命ではない!」  LT(Loving Time)大平耕司 『このなぜ存在しているか分からない一度の不思議な人生、生きてて日々感じる言葉では表しにくい感情を、サックスで音として、または作曲して音楽を発信し、そこに共感して下さる方の人生に...

 
 
 
人生の目的とは?

2024年4月13日(土)   「人生の目的とは?」   LT(Loving Time)大平耕司 先日、妻と二人で近くの銭湯に行きました。470円という安い昔ながらの銭湯です。しかし、泉質は温泉なのです。とても温まります。さて、その晩銭湯から帰り食事をしたあとに、ふと石鹸箱...

 
 
 
イエスの奇跡!

2024年3月9 日(土)    「イエスの奇跡!」   LT(Loving Time)大平耕司 ある日、ホリーさんは、予約していた娘の誕生日ケーキをお店に取りに行きました。すると店員は「別の女性が支払ってくれました」と言ったのです。「あら、本当?...

 
 
 

ความคิดเห็น


bottom of page