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愛の復活!

  • 執筆者の写真: 耕司 大平
    耕司 大平
  • 2023年2月4日
  • 読了時間: 6分

2023年1月28日(土)    「愛の復活!」    LT(Loving Time)大平耕司

イエスは、フィリポ・カイサリア地方に行ったとき、弟子たちに、「人々は、人の子のことを何者だと言っているか」とお尋ねになった。弟子たちは言った。「『洗礼者ヨハネだ』と言う人も、『エリアだ』という人もいます。ほかに、『エレミヤだ』とか、『預言者の一人だ』という人もいます。」イエスが言われた。「それでは、あなたがたは私を何者だというのか。」シモン・ペトロが、「あなたはメシア、生ける神の子です」答えた。すると、イエスはお答えになった。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、私の天の父なのだ。私も言っておく。あなたはペトロ。私はこの岩の上に私の教会を建てる。陰府(よみ)の力もこれに対抗できない。(マタイ16章13~18節)

イエス様は、エルサレムとは反対側の地方に行き、人々を避けて過ごされました。その静かな雰囲気の中で弟子たちにご自分の事をお尋ねになりました。「人々は私をどういう人間だと言っているか。私は何のために来た者だと考えているだろうか」。すると、「今まで現れた預言者のように、神様の決定的な救いを告げ知らせる存在だと言っています」と弟子たちは答えます。続けてイエス様は、「それでは、私と一緒に生活をし、私の言葉を聞き、私のしているわざを見てきたあなたがたは、そこで、私をいったい、誰だと思っているのか」と尋ねられました。すると、ペトロが弟子を代表して、「あなたメシア、生ける神の子です」と答えました。イエス様はこれを喜び、「あなたはペトロ、私はこの岩の上に教会を建てる」とすぐに言われました。その後ペトロは教会の伝道者となり、伝説ではローマの教会の監督、司教となり、そこで殉教しました。現在のローマ・カトリック教会の中心の教会はやはりローマであり、その中心である教会堂は、聖ペトロ大聖堂と呼ばれて、ペトロの墓の上に建っています。このイエス様の言葉に基づいてのことです。もちろん、私たちプロテスタント教会は、そのような解釈を受け入れていません。ではこの時のイエス様が語られたことの本意は何?・・・メシアというのは、ヘブル語で「油注がれた者」という意味があります。ギリシャ語ではキリストという言葉です。特別に神に召し出され、神からの使命につく人の就任式に香油が注がれました。「油を注がれた者」というのは、神のご命令で神の務めを果たす人のこと、ユダヤ社会では特に三つの大事な務めにつくことを意味しました。それは、王、祭司、それから預言者です。王のように神の支配を実現し、祭司のように神と私たち人間との和解を果たし、預言者のように正しく神の言葉を伝えるという三つの職務を担うメシア(救い主)が現れる、それが旧約聖書の約束でした。だから、ペトロは「あなたこそ、そのメシアです」とイエス様に言いました。人間が現実に生きておられるイエス様に対して、あなたこそすでにこの世に来られた救い主ですと言ったのは、これが人間歴史において初めてのことでした。歴史における最初の信仰告白となりました。それで、イエス様は、“この信仰に基づいて教会が建てられる”と宣言されたのです。そして、そのあとに「このときから、イエスは、御自分が必ずエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受けて殺され、三日目に復活することになっている、と弟子たちに打ち明け始められた・・自分の十字架を背負って私に従いなさい。・・」(マタイ16:21~28)とあります。つまり、イエス様は新たに教会を建てられるが、それは、『イエスは生ける神の子、油注がれたキリスト(救い主)であり十字架の死によって私たちの罪を贖い、三日目に復活して、私たちをも永遠に復活させて下さるお方である』と宣言した人たちの集まりである、と定義されたのです。

教会の中心は、神と人間の和解です。そして、それは、人間同士の和解、それも、イエス様が十字架で示されたように、愛の関係への和解です。それが永遠に続くのです。

さて、今日私に与えられた聖書のメッセージです。

マタイ5章23、24節『だから、あなたが祭壇に供え物を献げようとし、兄弟が自分に反感を持っているのをそこで思い出したなら、その供え物を祭壇の前に置き、まず行って兄弟と仲直りし、それから帰って来て、供え物を献げなさい。」』・・・イエス様は、とても大事な山上の説教の個所(マタイ5~7章)で、人間関係の和解を重要視されました。それは、イエス様の本質の愛に直結しているからです。聖書に、「そして、『心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして神を愛し、また隣人を自分のように愛する』ということは、どんな焼き尽くす献げ物やいけにえよりも優れています」(マルコ12:33)とあります。

私たちの人生は、自分と周りの人々との人間関係がすべてです。自己中心である私たちは、いつも妥協の心を持ち、人間関係の維持のために感情をコントロールさせて生きています。自分の精神を安定させるように日々努力しつつ、隣人との平和を目指し、自分の利益や目的が達せられるように生きています。しかし、私たちには限界があります。時々爆発します。精神的にコントロールを失ってしまい、争いや体調不良など問題が生じます。それが最悪の事態になると、取り返しのつかない結果となってしまいます。戦争や殺人、事件や事故や災難、泥沼の裁判沙汰、憎しみ、悲しい別れ、心の傷、病、鬱状態、離婚や離別などありとあらゆるこの世の悲しみに繋がります。

イエス様は、愛の復活を語られました。罪の支配の中にいる私たちには、いつも破壊の力が働きます。その力は、私たちの人間関係に大きく働きます。イエス様はその壊れた関係の中に介入してくださり、愛の関係を復活させてくださいます。自分の力に頼るとどこかで必ず行き詰ります。その仲介役をしてくださるのがイエス様です。

 以前の教会で、長老の責任役をしてくださっていた姉妹が、このように証ししておられました。「私たち夫婦は、牧師の紹介でお見合いをして結婚しました。同じこの教会のクリスチャン同士でした。でも夫婦の間で色々な問題や、夫婦喧嘩も多々ありましたが、その都度牧師に言われたのがこの言葉でした。『神さまが引き合わせて下さったのだから、すべてはイエス様にお委ねしなさい。大丈夫ですよ』。この言葉に支えられて、私たちの夫婦生活が持ちこたえられました」と。何かのおりにいつもこのように話しておられたのを今でも忘れることができません。体の弱かった御主人は20年前に神様に召され、この姉妹はつい先日89歳の生涯を閉じて神様に召されました。ご夫妻の子供さんやお孫さんなどご家族の皆様は、姉妹の意志を継いで、信仰を持ち教会で立派にご奉仕してくさっています。・・・神様は、その初めに天地を6日間で創造され7日目(土曜日)に休まれたとあります。その安息日を守り、その日にすべての仕事を止め、神様との関係を取り戻し深めるために礼拝しなさいと戒めを与えられました。なぜならば、罪深い人間は自分中心であるために、私たちに命を与えられた大切な神様の事をすっかり忘れて過ごしてしまうからです。そして、神様が御臨在される教会で神様にこのように祈りたいと思います。  

「この最悪の事態も、必ず最良の事柄に変えてくださる事を信じます。イエス様、私たちの間にご介入してくださることを感謝いたします。イエス様の復活は愛の復活でした。私たちが永遠に愛し合えるように十字架で死んで下さいました。その愛の犠牲のゆえに、私たちが永遠の愛に目覚めさせられたのです。あなたは今も生きてご介入してくださいます。弱い愚かな私をお赦しください。そして、愛する者へと変えてください。すべてを御支配なさるあなたは、献げものよりも何よりも、私たちが愛し合うことを喜ばれます」。 

そして、生活の中で常に私たちの人間関係にイエス様を介入させましょう。いつもイエス様を中心に見上げ、共にお祈りするのです。そのたびに「愛の復活」が為されるのです。

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