日々新たにされて!
- 耕司 大平
- 2022年10月22日
- 読了時間: 7分
2022年10月22日(土) 「日々新たにされて!」 LT(Loving Time)大平耕司
その翌日、みなで良沢の家に集まり、昨日のことを語りあいながら、とにかくまず、『ターヘル・アナトミア』の本に向かった。だが、それは櫓も舵もない船で大海原に乗り出したように、はてしなく茫洋としてとりつくしまもなく、われわれはみなただあきれるばかりであった。(杉田玄白著『蘭学事始」』より)
先日、プロ野球のドラフト会議が行われました。その中で注目を浴びたのが、杉田玄白の9代目の子孫である、長谷部銀次投手が広島カープから指名された件でした。さて、この杉田玄白という名前は、皆さんお聞きになった事があると思いますが、中学の歴史授業で出てきました。彼も授業中にこの杉田玄白の名前が出てきた時に、「クラス中が、僕の顔を見た」と話しています。この杉田玄白は、1733年(享保18年)、若狭小浜藩の藩医の三男として江戸で生まれました。彼は16歳の頃から漢学を学び、同時にオランダ流外科を学びました。25歳の時に外科医として独立し、平賀源内や前野良沢(りょうたく )との交際がこの頃から始まりました。39歳の時に前野良沢、中川淳庵(じゅんあん)と共に刑死体解剖に立ち会い、オランダ人から入手していた『ターヘル・アナトミア』の正確なことに驚き、この書の翻訳を思い立ちました。この模様を杉田玄白は『蘭学事始』でこう書きました。・・・《帰り道、良沢と淳庵と私の三人が一緒だった。道すがら私たちは語り合った。「いやあ、驚きましたね。それにしてもこれまで気づかずにいたとは恥ずかしいかぎりです。いやしくも医を業として主君に仕える身でありながら、その医術の基本となるべき人体のほんとうの形態も知らず、これまで百年一日のごとく医者家業をつづけてきたのです。なんとも面目もない話ではありませんか」「なんとかして、この『ターヘル・アナトミア』の一冊でも翻訳してみることはできないでしょうか。そうすれば身体の内外のこともよくわかり、明日の医学に大きな利益となるにちがいありません」》・・・
そして、善は急げという良沢の言葉に誘われて、翌日三人が中津藩邸の前野良沢の家に集まったのは1771年3月5日のことでした。この場面が冒頭の引用文の個所ですが、三人は『ターヘル・アナトミア』を前に呆然とします。この時点でオランダ語が少しわかっていたのは長崎留学経験のある良沢だけで、玄白はアルファベットすら知りませんでした。三人にあるのは強靭な意志と医学に対するあくなき興味だけでした。のちに翻訳メンバーに若手らも加わり艱難辛苦の末、やっと『解体新書』が完成し刊行されました。玄白が42歳の夏でした。つまり三年の歳月をかけてこの画期的な医学書が完成したのです。
さて、83歳となって杉田玄白は、蘭学草創のことを書き記そうと思い立ち、この『蘭学事始』を記しました。この本は、蘭学一筋に生きた彼自身の自叙伝のようなものでした。
その最後にこう締めくくっています。・・・《一滴の油も、これを広い池の水に落とせば、やがては広がって池全体におよぶという。まさにそのように、最初の時、前野良沢、中川淳庵、そして私の三人が申し合わせてかりそめに思い立ったことが、50年近い歳月を経て、いまや蘭学と呼ばれて全国のおよび、そこかしこ四方に行きわたり、年々に翻訳書も出るありさまと聞く。私は嬉しくてたまらないのだ。この蘭学の道が開けたら、百年千年の後の医者に至るまで、みな真の医術を会得して、人々の生命を救うという広大な利益をもたらすだろうと、まさに手舞い足踊る喜びをおさえきれぬ》・・・
杉田玄白はこの『蘭学事始』の後、満ち足りた人生を85歳まで生きました。彼らのこの不屈で強靭な精神があったからこそ、前人未到の地を切り開くことができました。それが後の世代の大きな恵みとなり、計り知れない日本人の命を救ったのです。
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今日私に与えられた聖書のメッセージです。
Ⅱコリント4章16節『だから、私たちは落胆しません。たとえ私たちの「外なる人」は衰えいくとしても、私たちの「内なる人」は日々新たにされていきます。』・・・パウロは、この前にこのように言いました。「人を罪に定める務めが栄光をまとっていたとすれば、人を義とする務めは、なおさら、栄光に満ちあふれています」(Ⅱコリ3:9)。つまり、紀元前1400年ごろ、出エジプトにおいて先祖であるモーセが奴隷の民イスラエル人を救い出したとき、その旅の途中で神から十戒が与えられました。つまり、人間を罪に定める十の掟、律法がはっきりと示されたのです。シナイ山で神と語り、律法を授けられたモーセは下山して民衆に顔を向けた時に神の栄光で顔が光輝き人々は恐れたほどでした。そのことをパウロは話しています。つまり、神の愛の掟である律法は良いものです。しかし、それを守れる人間は一人もいません。最初の人アダムとエバの選びにより滅びゆく罪人と堕落したからです。それ以後、イエス様がお生まれになるまでの旧約時代は、神の民イスラエル民族は、人間の罪を明らかにする役目が与えられました。「人を罪に定める務めが栄光をまとっていた」とはその務めが神の栄光のために祝福されたとまず言います。そして、イエス様がお生まれになり新約時代となり、イエス様の十字架の贖いの犠牲により、人々の罪への救いが示されました。「人を義とする務め」とは、生まれながらに罪をまとい滅びゆくどうしようもない人間に、イエス・キリストを信じる信仰により永遠の命に復活するという、福音を伝える働きのことです。その働きは、今までのユダヤ人の罪を定める働きに比べたら、さらに栄光に満ちた働きだとパウロは言うのです。実際その通りです。ですから、そのあとに、「私たちは皆、顔の覆いを除かれて、鏡のように主の栄光を映し出しながら、栄光から栄光へと、主と同じ姿に造りかえられていきます。これは主の霊の働きによることです」(Ⅱコリ4:18)とパウロは述べました。つまり、モーセの律法を中心として歩んできたイスラエル民族は、罪の定めは分かったとしても、救いにおいて今一つ顔に覆いがかかり、理解できませんでした。しかし、イエス様が聖霊を通して力となり、救いを確信させてくださり、聖化という聖霊の働きの過程において、イエス・キリストを信じる者は、主の栄光を反映させながら、世の光として輝き、栄光から栄光へとイエス様と同じ姿に変えられて行きつつあり、ついにイエス・キリストの再臨に際し、イエス様と同じ姿に変えられて、天国の住民になるのです。『だから、私たちは落胆しません。たとえ私たちの「外なる人」は衰えいくとしても、私たちの「内なる人」は日々新たにされていきます』(Ⅱコリ4:16)とパウロは述べます。「外なる人」とは、人間の衰える肉体のことであり、生まれながらの性質や欲望なども意味しています。そういった罪の性質は、肉体の老化と共に衰えていきます。なぜなら、それら罪はイエス様と共に十字架につけられたからです。イエス・キリストへの信仰により罪の力は無力になっているのです。しかし、私たちのうちに新しく造られたいのちである「内なる人」は、日々新たにされていくのです。だから、「私たちの一時の軽い患難は、比べものにならないほど重荷のある永遠の栄光をもたらしてくれます」(Ⅱコリ4:17)。信仰のゆえにこの世の悪や自分や周りの人々の罪に苦しみます。また、福音の働きに大きな迫害があるかもしれません。しかし、そのようなイエス様のための働きによる苦しみは、永遠の命という比べものにならないほど素晴らしい栄光へと変わるのです。「私たちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです」(Ⅱコリ4:18)。クリスチャンが目を留めるものは「見えないもの」、すなわち「天の目標」です。肉眼で見えるものがどんなに魅惑的であろうとも、それは一時的でありすべて滅んでしまうものです。私たちはたとえ衰えていく肉体を憂いていても、毎朝、新しい朝日が希望を与えてくれるように、イエス様にあって日々新たにされていくのです。杉田玄白など過去の偉人が、日々の新しい経験で『一滴の油が広い池全体におよび』、今の日本全体を救いました。私たちにもワクワクする大きな経験がゆるされています。日々新たな経験を歓迎しましょう。そのつど、私たちは新たにされていくのです。そして、他の何ものでも得られない永遠の命が与えられるのです。そこにいつも目を向けましょう!
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