死ぬために生きる!
- 耕司 大平
- 2022年4月23日
- 読了時間: 7分
2022年4月23日(土) 「死ぬために生きる!」 LT(Loving Time)大平耕司
山本常朝(つねとも1659~1719)口述書『葉隠(はがくれ)』
『武士道といふは、死ぬ事と見付けたり。二つ二つの場にて、早く死ぬはうに片付くばかりなり。別に仔細なし。胸すわって進むなり。図に当たらぬは犬死などという事は、上方風の打ち上がりたる武道なるべし。』
つまり、「武士道の本質は、死ぬことである。生か死かいずれかを一つ選ぶ時は、死ぬことを選ぶということである。別に意味はない。覚悟して堂々と進むべきである。目的を達せず死ぬのは犬死だなどというのは、上方風の思い上がった打算的武士道である。」
この一文には葉隠武士道の精髄が込められています。なぜなら、もともとサムライというのは戦場に赴く軍人であり、死を恐れていてはその役目は果たせません。勇ましく戦って死ぬことが名誉であり、臆病風を吹かせて生き永らえることは武士の恥と見られていたからです。しかも、目的が達せずして死ぬのは犬死だということに対して、そんなことを言うのは打算的な上方のサムライの言うことで、それは本物の武士道ではない、と山本常朝は言います。この話をもっとわかりやすく述べたものに、「赤穂浪士」に触れた箇所が出てきます。一般に赤穂浪士による吉良邸討ち入り事件は、“武士道の華”として伝えられていますが、彼はこう言います。「赤穂浪士の仇討ちも、泉岳寺で腹を切らなかったのが落度と言うべきだ。それに主君が死んで、敵を討つまでの間が長すぎる。もしもその間に、吉良殿が病死でもなされた時はどうにもならないではないか」。
彼は、「仇討ちというものは緻密な計算を立ててやるような行動ではない。武士である以上は、即刻『やられたらやり返す』というのが本道で、事の成否は問題ではない。問題は、成否にあるのではなく、行為自体に意味があるのだ」と言います。確かに、彼の言うように吉良上野介が病死でもしてしまえば、彼らは何もしなかったことになります。このような武士に対して彼は、「上方の人間は小利口だから、世間から褒められるようにするのは上手である」と嘲笑しています。彼は、サムライの原理原則を説いた“純粋武士道”だったと言えます。確かに『葉隠』を原理原則の行動哲学として考えると、この本は、にわかに光彩を放ちます。例えば、「武士道は死ぬことを見つけたり」の言葉も、それは単に死を軽んじて言っているのではなく、死の覚悟、つまり死ぬことを自覚していない生き方は、すべて「ただの遊戯」に過ぎない、と言っているのです。
それゆえに、『葉隠』の「死」は「生」を強調するための「死の自覚」を言っているのであり、それは「どう生き永らえるか」ではなく、むしろ「どう美しく死ぬか」であり、同時に「何のために生きるか」という根源的な哲学の上にあるのです。
この山本常朝は、佐賀鍋島藩士中野神右衛門重澄の子で、幼少時は体が弱く、父から厳しい教育を受けました。その後、9歳から佐賀藩二代藩主光茂に仕え始めました。その後光茂が69歳でこの世を去るまで仕えました。光茂が死んだ時、彼は藩主を追って殉死することを望みましたが、追腹(おいはら)の禁止の命により思いを遂げることはできませんでした。常朝が42歳の時です。そして彼は出家し「朝陽軒」を営み、隠棲しました。その際に、佐賀藩士田代陣基(つらもと)が自己修養のために庵をたずね、1710年から7年をかけて教えを乞いました。その間に常朝が語った武士としてのあり方、人間としての生き方をまとめたものが『葉隠』です。常朝が活躍した時代は江戸時代が最も華やかな“元禄文化”の頃でした。いわば彼は戦国剛健の気風を知っている最後のサムライだったと言えます。彼はこの筆記録を「火中に投げて焼け」と命じたそうですが、陣基はそれをひそかに保存し、いつしか佐賀藩士の間で筆写されて、『鍋島論語』として読まれたものでした。それぞれの道に使命感が必要だと思います。「国語が廃れば、その国は亡びる」と誰かが言いましたが、私たちがこの国やこの時代に生まれたのには理由があります。先人たちの事やこの世の真の歴史を知らずして、私たちの生きる理由は見えてきません。
今日私に与えられた聖書のメッセージです。
ヨハネ21章18節『はっきり言っておく。あなたは、若いときは、自分で帯を締めて、行きたいところへ行っていた。しかし、年をとると両手を伸ばして、他の人に帯を締められ、行きたくないところへ連れて行かれる。』・・・イエス様は十字架で亡くなられて後、ペトロとヨハネなど7人の弟子たちは、ガリラヤ湖に戻り漁をしました。もちろん、彼らも生きていかなければならず、食べ物と衣服が必要だったからです。しかし、一晩中かけても魚一匹も獲れませんでした。明け方にイエス様が彼らの近くの浜辺に立って「舟の右側に網を打ちなさい」と指示され、そのとおりにすると大量の魚が網にかかりました。すぐさま、その声の主がイエス様だと気づいたペトロと弟子たちは急いで岸に戻りました。
イエス様は、「さあ、来て、朝の食事をしなさい」と言われ、パンと魚を取って弟子たちに与えられました。そのあと、弟子たちの前で、ペトロに対して、「私を愛しているか?」という質問を三回されました。それはなぜか?・・ペトロは、そのちょっと前、イエス様が十字架に掛かられる時に、「私は、イエスを知らない」と三回言った事に関係がありました。「ペトロ、言っておくが、あなたは今日、鶏が鳴くまでに、三度わたしを知らないと言うだろう」(ルカ22:34)とすでにペトロに予告されていました。その理由として『救い主は、ペトロが兄弟たちの信頼をとりもどし、彼が福音の上に招いた非難をできるだけとりのぞく機会を彼らにお与えになった』(各時代の希望下353頁)とあります。・・イエス様はペトロに三回「私の羊の世話をしなさい」と言われました。つまり、『福音を述べ伝えて、信じた人々の教育と訓練に生涯をささげなさい。そうすれば、先ほどの漁のように、あなたがたの生活の必要は、私が満たそう!』と教えられたのでした。そして、最後に冒頭にある聖句を語られました。イエス様は、ペトロがどんな死に方をするのかをお知らせになりました。ペトロが十字架上で手を広げることまでも予告されました。そして、再びイエス様は、「私に従ってきなさい」と言われました(ヨハネ21:18,22)。ペトロは主のためにどんな死でも喜んで受けたいと望みました。それは、今回も含めて、イエス様の愛が身に染みて、彼の心に焼き付けられたからです。
『歴史を通して、今日私たちが生きている西側世界ほど生き辛い時代はありません。私たちは、楽しいもの、興味のそそられるもの、好奇心を満たしてくれるものに取り囲まれて暮らしています。私たちを取り巻く現代の環境が、あまりにも多くの魅惑的なアトラクションや、人を魅了するマスコミのメディアなど、心躍らせる数々の魅力的な経験で満ちているため、幸せを追求することが人生のすべてであるかのような錯覚に陥りやすいのです。・・私たちは、もっと優れたもののために今準備をしているところなのです。「今、私たちがここで見ているものは明日には消えてなくなります。しかし、今この目で見ることのできないものは永遠に続いていくのです」(MsgⅡコリント4:18b)』(五つの目的66頁)。・・私たち日本人には、「死に対するスキルがない」と良く言われます。つまり、死生観がない。裏返すと、人生をはつらつと生きる為のモティベーションがないということです。ですから若者の自殺率が世界でトップという情けない状況になっています。
イエス様は十字架で死ぬためにお生まれになりました。それは、私たちへの無限の愛をお示しになるためです。あれほど弟子たちを愛し、また、旅をして数々の愛情あふれた人々への奉仕と奇跡を示された救い主でしたが、十字架の死後、弟子たちはイエス様を見捨てて逃げ去りました。それでもイエス様は弟子たちの前に現れ、「子たちよ、おなかが空いただろう、来て食事をしなさい」と彼らを心から気遣われました。イエス様の中に究極の愛が私たちに示されました。私たちの存在理由は『愛』そのものです。愛があるからこそ家族を愛し、隣人を愛し、自分を愛し、永遠の愛の世界に生き続けられるのです。そのために、喜んで死んでいけます。自我に死に、死の恐怖に死に、悪魔の惑わしに死んで生きましょう。イエス様は『死』をも滅ぼされたお方です(ヨハネ16:33,黙示21:3,4)。
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