top of page

死より嫌な奉仕!?

  • 執筆者の写真: 耕司 大平
    耕司 大平
  • 2023年10月14日
  • 読了時間: 7分

2023年10月14日(土)  「死より嫌な奉仕!?」 LT(Loving Time)大平耕司

 5・15事件を御存知だと思います。1932年5月15日の17時ごろ、総理公邸に軍人が乱入し当時の内閣総理大臣だった犬養毅が暗殺されました。この日より終戦まで軍部寄りの内閣が続くことになりました。その暗殺された犬養毅の曾孫に緒方貞子さんがいます。彼女は、外交官だった父親の転勤で、小学校時代をアメリカや中国などで過ごしました。帰国後、聖心女学院で学び、在学中、洗礼を受けクリスチャンになっています。その後カルフォルニア大学バークレー校の大学院で政治学の博士号を取得しました。国際基督教大学や上智大学の教授を歴任し、その後、国連公使(政府代表部、特命全権大使)に就任します。そこで難民問題に遭遇します。その後に日本人初、学者としても初の第8代国連難民高等弁務官に就任します。最初に取り組んだのは、クルド人への支援でした。就任直後に勃発した湾岸戦争によって、イラク国内にいた少数民族クルド人約180万人が避難を開始、そのうち40万人がトルコへの国境を越えられずに、夜は氷点下に達する険しい山岳地帯に取り残されました。当時、国内にいる人の保護は、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)の直接的な任務とされていなかったため、大きな議論となりました。彼女は、『国境を越えたら支援する、国境を越えないなら支援しない、ということでは目の前のクルド問題は解決しません』と、「国内避難民」という従来の“難民”の定義に当てはまらない人々を救済する、新たな枠組みを生み出しました。それまでは絶対に現地へ赴かなかった高等弁務官でしたが、それをも破り、彼女は「現場主義」を貫きました。1993年にはギニアへ赴きます。内戦が続くシエラレオネでは、100万人近くが国内難民となっていました。そして、この訪問の直後に5万人もの難民がUNHCRの支援を受け、内陸の安全な場所へ移動することとなりました。「私たちは故郷を追われた人たちや、被害にあった人たちの最前線に立てたことを誇りに思うべきだと思います」と話しています。2000年、3期10年にわたる任期を終え、国連難民高等弁務官を退任します。73歳です。続いて独立行政法人として新たなスタートを切る国際協力機構(JICA)の初代理事長に就任します。現場も配置する人員を増加するなど、JICAの大胆な組織改革を推進しました。そして、2006年にはフィリピンのミンダナオ島を訪ねます。30年続いていた紛争の終結に向け、日本の協力を進めようとしました。マニラでアロヨ大統領と会談し、島の状況を視察する予定でした。ところが緒方さんは、「こちらから行って話しましょう」と自ら奥地の軍事拠点に乗り組みます。そして、分離独立を求めるモロ・イスラム解放戦線(MILF)のムラド議長と面会し和平に向けたパートナーシップの構築を約束したのです。しかし、その2年後、再び戦線が始まったため、他の支援国は人員の縮小を始めます。『私は、周りが引いてしまった時こそ前に出るべきだと、強く主張したのです。ここで国際的な関与が無くなると、前の紛争状態に戻ってしまうと思いました』と述懐しています。さらにUNHCR時代支援にあたったルワンダを再訪しました。緒方さんは大歓迎を受けました。1996年当時ルワンダの難民キャンプではコレラが流行し、さらに武装集団も紛れ込んでいたために数々の支援機関が撤退しました。しかし、緒方さん率いるUNHCRは、難民への支援を継続したのです。『常に賭けに出ないわけには行かないですよ、こういう時にはね。安全弁をとっていたらね、この国はまだ半分も進まなかったかもしれませんね』とこの時のことを話しています。JICAは2005年から現在に至るまで、ルワンダへの協力を続けており、この年には、教育や水資源の確保、バスの整備などを行いました。2012年3月8年半務めたJICAの理事長を退任します。「一貫して申し上げたいのは、やはり現場を重視してほしいということ。どんな所でも、積極的にやれることをやりながら、この何とも言えない内向きの日本を直していってください。それは一つのお願いです」。緒方貞子さんは2019年10月22日92歳で逝去。支援のために訪れたのは120を超える国や地域、世界の平和と人々の幸せのためにその半生を捧げました。

今日私に与えられた聖書のメッセージです。

マタイ12章41節『ニネベの人たちは裁きの時、今の時代の者たちと一緒に立ち上がり,彼らを罪に定めるであろう。ニネベの人々は、ヨナの説教を聞いて悔い改めたからである.ここに、ヨナにまさるものがある。』・・・イエス様は、預言者ヨナの例をとって、ご自身の使命をお話されました。紀元前800年頃、預言者ヨナは、神様からの託宣を受け取ります。「さあ、大いなる都ニネベに行ってこれに呼びかけよ。彼らの悪は私の前に届いている」(ヨナ書1:2)。つまり、彼らに悔い改めさせるように命じました。ニネベは、アッシリア人の都、彼らは異教徒でありイスラエル人の敵でした。彼は、真の神を教えて彼らを救うより、滅びる方が良いとさえ考え、神の命令から逃げてしまいます。自分たちを脅かしている敵ですから、当然と言えば当然です。彼は船でニネベとは反対方向に位置するスペインの南部のタルシシュを目指してしまいます。しかし、神は赦しません。船はやがて嵐に襲われます。ヨナは自分が神に背いていることが原因だとすぐに悟り、船員たちに自分を海に投げ捨てるように言います。異教徒ではありますが、善良な人間であった船員たちは、ヨナの神に祈りを捧げますが、嵐は治まることがありませんでした。彼らが仕方なくヨナを海に投げ込むと、たちまち海は静かになり、船員たちは神を畏れて犠牲を捧げました。・・海に投げ込まれたヨナは、神が遣わした大きな魚に飲み込まれました。観念したヨナは、魚の腹の中で三日三晩祈り続け、ようやく赦されました。「・・わが神主よ、あなたは命を、滅びの穴から引き上げてくださった。・・・私は感謝の声をあげ、いけにえをささげて、誓ったことを果たそう。救いは主にこそある」(ヨナ2:7b,10)。その悔い改めをお聞きになった神は、魚に命じられて、魚はヨナを陸地に吐き出し、ヨナは奇跡的に助かります。ヨナは神の命令に従ってニネベに向かいました。そして、都の中を、「あと四十日すれば、ニネベの都は滅びる」(ヨナ3:4b)と叫びながら人々に伝えました。すると、ニネベの人々は熱心にヨナの話に聞き入り、神を信じるようになりました。王もまた荒布をまとい家畜まで断食をして、身を慎むようになったのです。神はニネベの人々が正しくなったことを見て、災いを下すことをやめられました。しかしヨナは、異教徒たちが赦されたのに憤りを感じます。さらに異教徒たちが改心したことを信用できないヨナは、小屋から彼らの様子を見ることにしました。そこで神はヨナを暑さから守るために、トウゴマの木を繁らせて影を作ってあげられました。ところが翌日になると、神はトウゴマの木を枯らしてしまわれました。ヨナは自分を守る青々としたトウゴマの木が枯らされ、邪悪な町が生き延びることが不満でした。「生きているよりも、死んだ方がましです」(ヨナ4:8)と叫んだヨナですが、そんな彼に神は再び語りかけられます。「あなたは自らが苦労することなく手にいれたトウゴマの木さえ惜しむ。私が12万の人々と多くの家畜を救わないでいられるだろうか。彼らは神を、そして善悪を知らなかっただけなのに」(ヨナ4:9~11)神の愛は、異邦人もユダヤ人も分け隔てなさいません。悔い改める者には神の恵みが与えられるのです。ヨナは最初、嵐の海に自分を投げ込むように言いましたが、ここでも死んだ方がましだと叫んでいます。異邦人に福音を伝えるのが、死よりも嫌な奉仕だったのでしょうか?・・先に述べました緒方貞子さんにおいても、難民救済においてどちらを決断してもリスクを伴うものもあったと述べています。彼女には人知れず、祈らずにはおられない、逃げ出したい状況がいくらでもあったと思います。選民意識の強いイスラエル人においてはなおさらのことですが、人間には自己中心という罪があります。自らを危険な状況においても他人を救いたいと思う自己犠牲の精神は、残念ながら私たちにはありません。ましてや自らを永遠の滅びをもって、私たちをお救いになったイエス様のほかには皆無なのです。だから、死ぬほど嫌な奉仕でも、イエス様にお従いする価値があるのです。福音とは命をかけるに値するものです。なぜなら、永遠の命を相手に与えることになるからです。人生には限りがあります。伝えるのは今なのです!

最新記事

すべて表示
偶然の命ではない!

2024年4月27日(土)   「偶然の命ではない!」  LT(Loving Time)大平耕司 『このなぜ存在しているか分からない一度の不思議な人生、生きてて日々感じる言葉では表しにくい感情を、サックスで音として、または作曲して音楽を発信し、そこに共感して下さる方の人生に...

 
 
 
人生の目的とは?

2024年4月13日(土)   「人生の目的とは?」   LT(Loving Time)大平耕司 先日、妻と二人で近くの銭湯に行きました。470円という安い昔ながらの銭湯です。しかし、泉質は温泉なのです。とても温まります。さて、その晩銭湯から帰り食事をしたあとに、ふと石鹸箱...

 
 
 
イエスの奇跡!

2024年3月9 日(土)    「イエスの奇跡!」   LT(Loving Time)大平耕司 ある日、ホリーさんは、予約していた娘の誕生日ケーキをお店に取りに行きました。すると店員は「別の女性が支払ってくれました」と言ったのです。「あら、本当?...

 
 
 

Commentaires


bottom of page