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死んだ者と死なない者

  • 執筆者の写真: 耕司 大平
    耕司 大平
  • 2022年6月11日
  • 読了時間: 6分

2022年6月11日(土)  「死んだ者と死なない者」  LT(Loving Time)大平耕司

 「仁」とは、徳のうちでもっとも最大最高のものである。これを一言でいうなれば、愛そのものである。それは君臣の関係においては義といわれ、父子では親といわれ、夫婦では別といわれ、兄弟では序といわれ、朋友では信といわれるが、みんな愛から発したものである。(伊藤仁斎『童子問』39条)

 伊藤仁斎は、寛永四(1627)年、京都堀川の裕福な材木商の子として生まれました。11歳から儒学を学び、19歳の時に朱子学に傾倒します。それ以来朱子学に関連する大著を次々と読破していきました。20代の終わりに病気をし、それを機に家業(木材商)を弟に譲り、実家近くに独居して学問に熱中します。孔子・孟子の研究に力を入れ、その本来の思想を独学で体系づけました。古人の言葉そのものに帰るという独自の学問方法は古義学と呼ばれ、家塾「古義堂」を40年余りにわたって開き、子弟の教育を続け、門人の数は3千人ともいわれます。彼の教えは非常にわかりやすいと、人気がありました。その理由は、江戸時代前期において、武士出身者が多い学者の中で、町民出身の学者ということで特筆すべき存在だったのです。頭でっかちの難しいそれまでの教えの中で、彼の教えは、日常生活の中の常識的判断による善悪こそが、そのまま正しい生き方である、と主張したのでした。いわば、教えをどう日常生活に生かすかがとても大事だというわけです。例えば、大学教授が書いた書物を読むと、やたらと難しい言葉を並べ、結局、何が言いたいのか分からないものがあります。伊藤仁斎は、著書『童子問』を通して、こういう頭でっかちの人達を邪説を振りまく者と呼び、難解なものはよりやさしく、やさしいものはより格調高く記しました。まさしく儒学をわかりやすく「日本の儒学」として説いた最初の人だったのです。彼の著書『童子問』の中からです。

『人間生活の真理の道とは何か。その細目は四つある。仁・義・礼・智である。孟子はこれを「四端(したん)の心」で説明した。すなわち、憐れみいたましく思う心は「仁の端(もと)」。悪を憎む心は「義の端」。慎み、敬う心は「礼の端」。是非を見分ける心は「智の端」である。これらは人間に四肢があるように、もともと備わっているものである。この四端の心があるということは、人間の本性が善であり、ほかの動物とは違うところだ。だから、この本性を豊かにするように心がければ、誰もが仁義礼智に満ちた人格(徳)を身に着けることができる。逆に、この本性を生まれたままにして、育てることをしなければ滅ぼしてしまうことになる。また、忠(まごころを尽くすこと)、信(信頼、ありのままの心)、敬(敬う心)、恕(じょ:思いやる心)も、みんな本性の善を維持するよりどころなのである』。・・・仏教(天台宗)の教えの中に、十界というものがあります。人間の心の全ての境地を十種に分類したもので、六道に声聞・縁覚・菩薩・仏の四聖(ししょう)を付加したものです。詳しく言いますと、まず、六道と呼ばれる心の状態から始まります。

1.地獄界(じごくかい:あらゆる恐怖にさいなまれた状態、まさしく地獄のさま)

2.餓鬼界(がきかい:眼前の事象に固執する餓鬼の状態)

3.畜生界(ちくしょうかい:動物的本能のままに行動する状態。貪欲、睡眠欲、性欲、物欲、支配欲など、欲望のままに行動する状態を指す)

4.修羅界(しゅらかい:会話を持たず「武力」をもって解決を目指す状態。日常的な喧嘩から国家間の戦争に至るまでの全般を指す)

5.人界(にんかい:平常心である状態。だが、人間的な疑心暗鬼を指すともされる)

6.天界(てんかい:諸々の「喜び」を感じる状態。主に瞬間的な喜びを指す)

7.声聞界(しょうもんかい:仏法を学んでいる状態。仏法に限らず、哲学・文学・物理学、さらには大衆娯楽や子供の戯言に至るまで「学ぶ」状態を指す)

8.縁覚界(えんがくかい:仏道に縁することで、自己の内面において自意識的な悟りに至った状態。仏界における「悟り」とは根本的に異なる)

9.菩薩界(ぼさつかい:仏の使いとして行動する状態。自己の意思はともかく「行動」そのものを指すとされる)

10.仏界(ぶっかい:悟りを開いた状態)

 あさましい心から、穏やかな心まで、人間はその時々によって変化しますが、伊藤仁斎は、心は養い育てなければならないと言います。日本は昔からこのような教えを庶民のレベルから教える「寺小屋」制度があったから、たび重なる外国からの攻撃や洗脳から逃れ植民地にならずにすんでこれたと言われています。

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今日私に与えられた聖書のメッセージです。

マタイ16章29節『はっきり言っておく。ここに一緒にいる人々の中には、人の子がその国と共に来るのを見るまでは、決して死なない者がいる。』・・・イエス様は、聖書のこの個所で初めて、ユダヤ人指導者たちから苦しみを受け、殺され、三日目に復活することなっていることを打ち明けられました(同21節)。そして、弟子たちに「私について来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、私に従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、私のために命を失う者は、それを得る」(同24,25節)と語られました。つまり、自己中心のワガママな自我である欲望などの罪を十字架に貼り付けにして、ついてきなさい。そうすれば、永遠の命に至ることができると述べられたのです。続いて、「人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか」(同26節)と語られました。「全世界を手に入れる」とは、これこそ人間の欲望の真骨頂といいましょうか、そのものずばりだと思います。人間の罪の欲望は、何でも欲しいものは手に入れたいというあくなき追及にあります。先ほどの仏教の十界の下層界の地獄界、餓鬼界、畜生界、修羅界の心の状態を指すのでしょうか。現代の日本において、マスプロ教育(知識偏重教育)にて、能力主義、物質主義、経済至上主義などに洗脳された社会にて、やる気や夢を失った若者たちが次々と自死しています。若者の自殺率は世界で日本がナンバーワンです。仁斎が徳(愛)を語り世界の悪(資本家による支配)から遠ざけてきた脅威が再び迫っています。

イエス様は、生きていても自分の命を失った者、あるいは、生きていても死んだ者(マタイ8:22)と呼ばれて、この貧しい心の社会や人々を譴責しておられます。つまり、本来、神様が心から愛して命を与えられた尊いはずの人間が、己の罪の欲望に心を占領されて、餓鬼や畜生、守銭奴になり下がり、偽善者(マタイ23:27,28)としてあわれな生涯を送ったり、あるいは、神の愛を知らず絶望の淵に沈んでいる人々の事をそう呼ばれました。イエス様は、その反対に「決して死なない者」がいるとはっきり言われました。「自分の命を買い戻すのにどんな代価を支払えようか」との言葉は、イエス様ご自身が、私たちの罪の身代わりとなられて、その代価を支払ってくださる以外に道がないということです。罪に気づき、イエス様の十字架の贖いを信じ受入れた人は、罪の代償が支払われて、永遠の命に生かされます。その人々を、決して死なない者と言われました。この時、弟子たちはイエス様が言われたことの意味をまだ呑み込めずにいました。彼らは、自分たちを支配しているローマ帝国を打ち滅ぼして、再びイスラエル王国を打ち立ててくれる王がイエス様だと確信していました。でもイエス様はそれよりももっと素晴らしい永遠の御国の建設を話しておられたのです。イエス様は誰に対して「決して死なない者」と言われたのでしょうか。それはたった今、聖書のこの個所を開いて目にしているクリスチャンです。つまり、あなたに対して「決して死なない者」と言われたのです。「私の父の御心は、子を見て信じる者が永遠の命を得ることであり、私がその人を終わりの日に復活させることだからである」(ヨハネ6:40)の通り、イエス様のご再臨の時に、人の罪を完全に滅ぼし、この地上が、死も涙も、悲しみも嘆きも労苦もない(黙示21:4)永遠の天国に変わるのです。

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