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永遠に立つ!

  • 執筆者の写真: 耕司 大平
    耕司 大平
  • 2022年8月27日
  • 読了時間: 7分

2022年8月27日(土)    「永遠に立つ!」    LT(Loving Time)大平耕司

江戸時代から続く馬具商の六代目の長男森村市左衛門は、幕末の1855年の安政大地震により、すべての家屋、家財を失いました。16歳の彼は、露天商、日雇いで一家を支えて一生懸命に働き店を再建しました。その4年後1859年に横浜が開港されると、彼は片道32キロ道のりを荷車で往復して、時計、洋服などを仕入れて薄利で売りました。彼は清廉潔白、正直、親切、勤勉をモットーとしていて、けっして暴利をむさぼりませんでした。それが功を奏し、やがて大名屋敷から声がかかるようになり、中津藩(大分県)に出入りするうち、福沢諭吉の存在を知りました。その翌年、幕府は日米通商条約に批准する使節団を派遣することになり、米国への贈答品の注文が森村商店に舞い込みました。使節団が米国で使用する通貨への両替も頼まれたので、彼が横浜の両替所で交渉しましたが、日本の小判(金)とメキシコ銀貨の交換レートは1対2でした。国際レート1対4でしたから外国人はぼろ儲けです。「これでは日本の金がすべて流出してしまう」と福沢諭吉に訴えると、「日本の金を取り戻すには、輸出貿易以外になく、英・米国はそれで国が豊かになった」と説明を受け、「これからの日本は、独立の精神で世界と対等になるために国力をつけていかねばならない」との諭吉の思いに感銘を受けた市左衛門は、国の繁栄のために外国貿易を決心します。時代は明治に移ります。福沢諭吉が教える慶應義塾に弟の豊(とよ)をこれからの外国貿易のために学ばせ、明治9年(1876年)に、森村組を創設しました。そして2年後にニューヨーク六番街238番館に日本の製品を扱うお店「森村ブラザーズ」を設立しました。かつての横浜通いで鍛えた市左衛門の眼は確かで、日本の骨董品や雑貨などを日本国中から精力的に仕入れを行い、弟の豊に任した「森村ブラザーズ」に送ります。ある時、現地の店員が間違って商品を倍の値段で売ってしまったことがありました。豊は、「相手は納得して買ったのだから仕方がない」という店員をたしなめ、多くもらったお金を返させました。この一件で店員も客も「日本人は信用できる」と感激し、それからますます「森村ブラザーズ」の信用も上がり商売も繁盛していきました。業績の拡大とともに、森村組の将来を担う有能な社員が次々と入社してきました。やがて卸売業に転じた森村組は、明治26年に輸出高が25万円(現在の約25億円)に達しました。しかし、明治27年(1884年)から製造を始めた洋食器は苦戦を強いられます。当時純白の陶磁器は欧州の非常に高価なものが流通していました。純白が求められるのに日本の磁器は灰色の「でもしろ」(これでも白)と呼ばれ、光沢もなく熱にも弱いものでした。それから技術を学ぶべく欧州に赴きます。それでもなかなか極秘技術は教えてもらえません。やっと日本の金盛絵付け技術と交換に工場見学が赦され技術を習得できます。実に10年の歳月が経っていました。明治37年、欧州から製陶機械や石炭窯を導入し、名古屋駅に近い鷹羽村則武に「日本陶器合名会社」が創立されました。創業の地にちなんだ「ノリタケ」ブランドは、輸出だけでなく、皇室、外務省、海軍、帝国ホテル、精養軒に採用され、三越でも扱われます。高級食器から市民の手に届くまでに企業努力がなされていきました。また大正6年(1917年)に北九州小倉に「東洋陶器」(現TOTO)が設立されます。後に日本ガイシ、リクシルなど今でも存続する大企業がたくさん設立されていきます。このように盤石な会社基盤をなしたのは、宗教的信条「神の道を信じ万事を経営する自覚を確信すべし」に他なりません。「正直は最良の商略」と考え、欧州にてキリスト教に深く感銘した市左衛門は、「花を咲かせるより人を育てる」を旨に明治34年(1901年)に学校を設立します(森村学園)。また、北里柴三郎の「北里研究所」にも多額の寄付をしたり、多くの有名大学や研究機関に支援をしています。51歳よりキリスト教信者となり、自らは78歳でバプテスマを受けてクリスチャンになりました。崇高な精神で決して私利私欲に走らず、国益を以て会社の利益とする立派な経営理念は、一切の盆暮れなどの贈答やお礼などは受け取らず、接待も禁じた会社の姿勢にも表れています。森村市左衛門は80歳で生涯を閉じますが、世界の人々に日本文化の薫風を贈り、日本の産業繁栄に貢献した功績は極めて大きく、第一級の日本国に貢献した立派なクリスチャン企業家でした。

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今日私に与えられた聖書のメッセージです。

ヨハネ6章27a節『朽ちる食べ物のためではなく、いつまでもなくならないで、永遠の命に至る食べ物のために働きなさい。これこそ人の子があなたがたに与える食べ物である。』・・・イエス様は、五つのパンと二匹の魚を分けて、五千人に食べ物を与えられる奇跡を行われました。イエス・キリストの不思議な数々の業を見聞きして、ローマの帝国主義支配からもう一度以前のイスラエル王国の独立国家を取り戻すべく、ユダヤ人たちがイエス様にクーデターを期待し、決起して集まってくるのは当然のことでした。群衆は、まさしくイエス様のことを誤解していました。弟子たちさえそうでした。その誤解を通してイエス様は真理を明らかにされていきます。群衆はその翌日、イエス様を捜してガリラヤ湖の対岸のカフェルナウムに来た時、話されたのが冒頭の聖句の個所です。その群衆に対してイエス様は、「はっきり言っておく。あなたがたが私を捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満足したからだ」(ヨハネ6:26)と言われました。エレンホワイトの言葉です。『彼らがイエスを求めたのはりっぱな動機からではなく、パンを食べさせてもらったのでキリストについていることによって、もっとこの世の利益を受けようと望んだからであった。・・物質的な利益だけを求めてはならない。現世のために備えることだけが主要な努力であってはならない。霊的な食物すなわち永遠の命に至るまで続く知恵を求めなさい。これは神の子だけが与えることのできるもので、「父なる神は、人の子にそれをゆだねられたのである」(ヨハネ6:27)』(各時代の希望中129頁)。      

群衆は、物質的、かつ現実的な食糧とか肉体の癒しとかを切に求めていました。だからモーセが40年の間イスラエル人を荒野で導いた間、天からのマナ(食糧)を毎日与えてくれたように、自分たちにもそのような、神の業が与えられるようにしてくれとイエス様に迫りました(ヨハネ6:31)。それができたら信じて従うと言い寄ったのです。すると、「私が命のパンである。私のもとに来る者は決して飢えることがなく、私を信じる者は決して渇くことがない。」(ヨハネ6:35 )と言われました。聖書の初めに、アダムとエバに対して、命の木を与えられましたが、彼らが神を拒否し自己中心への選びによって永遠の楽園から追い出されました。しかし、神はもう一度、私たちの前に命の木であるイエス様を与えられました。イエス様を信じることが神の業であり、従うことが命の木のパンを食べて、永遠の命に蘇ることなのです。私たち人間は、神に似せられて三位一体の神と同じように互いに愛し合い、永遠においてすべてを支配するように造られました。ただ生きて飲み食いしこの世の人間の欲望や罪、サタンの奴隷となって過ごして、死んで終わり、というために造られたのではありません。森村市左衛門は、そのような守銭奴に陥ることなく、高潔な品性を保ちつつ歩み、それを従業員や家族が尊敬し従ったので、会社がいまだに世界に貢献しているのです。彼の「天に貸す」とは、イエス様に従い、愛に奉仕する生涯の事を指します。これこそ、「永遠の命に至る食べ物のために働く」ことです。私たちは何を信じるかで、その行先は決まります。「霊的な食物すなわち永遠の命に至るまで続く知恵」とは、十字架で死なれたイエス様の罪の贖いを受入れ、愛のイエス様にひざまずきつつ日々を歩むことです。イエス様は、永遠に立つべく、私たちを強くご自身の元へと引き上げてくださいます。自らを罪の奴隷にしている私たちを解放して下さるのです。

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