top of page

狂った世界に希望が見えた!

  • 執筆者の写真: 耕司 大平
    耕司 大平
  • 2022年8月13日
  • 読了時間: 7分

2022年8月13日(土) 「狂った世界に希望が見えた! LT(Loving Time)大平耕司

 これは、『氷川清話』に書かれた内容の一部です。1823年(文政6年)に生まれた勝海舟の回顧録です。彼は、江戸(東京都墨田区)の下級旗本の家に生まれ、貧乏であったがゆえに庶民的な暮らしぶりでした。そんな中、教育熱心な父親の影響で、剣術と蘭学、そして、佐久間象山から西洋兵学を学びました。象山が江戸で洋学塾を開いた時は、全国からそうそうたる生徒が集まっています。その中には、吉田松陰、西郷隆盛をはじめ、倒幕派の重要人物がかなりいました。この塾で、勝は講師役を務めていましたので、青年時代に多くの人材と出会っていたのです。さて、この勝海舟は、幕臣(幕府側)でありながら、新しい時代の必要を感じ、藩とか幕府とかの狭い発想を超えて、ただ一人「日本国」という立場にたって、広い心を持ち、その倒幕のシナリオを描いた人物でした。

 さて、下級武士だった彼が幕府に初めて登用されたのは、1853年(嘉永6年)にペリー艦隊が来航した翌年からでした。33歳の時です。この時、動転した幕府が諸大名や幕臣たちに「いい案はないか」と対処策を公募した際、それまで無役だった勝海舟の答申書が採用されたのがきっかけでした。それは、彼の答申書が時勢を把握した斬新的なものだったからです。すでに蘭学の私塾を開いていた彼は、幕府の洋学研究機関のオランダ語翻訳スタッフに任命され、続いて長崎の海軍養成所で学ぶチャンスを得ました。それが、転機となります。その時の航海術の教師オランダ人カッテンディーケの信仰に触れて、感動し、オランダ語の讃美歌を日本語に翻訳しました。日本で最初に外国の讃美歌を翻訳したのは勝海舟でした。その後、江戸に戻り、海軍学校の頭取となります。そして、1860年(万延元年)日米修好通商条約を結ぶ使節のために、咸臨丸(かんりんまる)の艦長として日本人による初の太平洋横断に成功したのです。サンフランシスコでの彼は、毎週のように教会の礼拝に出席していました。さて、帰国後、アメリカの近代社会を目の当たりにしてきた彼は、長崎に新たな海軍学校を開き、軍艦奉行に昇進し、倒れかけた幕府の中で海軍創設に尽力します。最後の将軍となる徳川慶喜(とくがわよしのぶ)から後始末を依頼された彼は、新政府軍と戦いを続けようとする幕臣をなだめ和平交渉をします。幕府代表として勝海舟は、西郷隆盛と会見し、有名な江戸城の無血開城を実現したのです。さらに世界に目を向けていた彼は、伊藤博文たちと共にキリシタン禁制に対する「耶蘇教黙許意見」を政府に出しました。これが1871年(明治三年)のキリシタン禁制の撤廃へとつながっていったのです。維新後は明治新政府の政治顧問のような役職を歴任しますが、政権を離れてからの彼は、政界の陰の相談役として重要な地位を保ちながら、徳川家の後見人として隠居した慶喜の世話をしたり、旧幕臣の生活救済や、逆賊となってしまった西郷隆盛の名誉回復にも大きく尽力しました。とても優しい性格の持ち主だったんですね。

そして、晩年は、さらにキリスト教に接近していきます。彼は漢訳聖書を座右の書としていました。またアメリカ人宣教師一家を自分の邸宅に同居させるなどクリスチャンとの交わりを続けていました。エドワード・クラークという宣教師は「彼以上にナザレ人イエスの人格を備えた人物を見たことがない」と彼を高く評価しています。彼がキリスト教と真剣に取り組んだのは、愛する長男の小鹿を突然失ってからでした。亡くなる2週間ほど前、彼は医師のウィリス・ホイットニーに「私はキリストを信じる」とはっきりと言ったと伝えられています。信仰を確かに告白したのです。さて晩年の勝海舟は、ほとんど赤坂氷川にある別荘で暮らし、旧幕時代の歴史や記録を編纂し、『開国起源』、『吹塵録』、『氷川清話』などを刊行しました。1899年(明治32年)1月19日に77歳の生涯を閉じました。最後の言葉が「コレデオシマイ」だったそうです。ユニークで聡明な生涯でした。

今日私に与えられた聖書のメッセージです。

マタイ24章38、39節『洪水になる前は、ノアが箱舟に入るその日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていた。そして、洪水が襲って来て、一人残らずさらうまで、何も気がつかなかった。人の子が来る場合も、このようである。・・・アダムから9代目の子孫のノアの時代、地上にはアダムとエバの子であるセトを先祖とする人間が増えていましたが、彼らの心は欲情に支配されるようになりました。女たちを奪い合うことから憎しみと争いが生まれ、世の中はすっかり堕落していました。これに失望した神は生き物を滅ぼすことを決めました。しかし、ただ一人正しい行いをするノアに対しては箱舟の構造を指示して、その一族と一つがいずつの動物を助けるという慈悲を示されました。この時神がノアに示された箱舟は、長さ約135メートル、幅約23メートル、高さ約14メートル、という巨大なものでした。屋根と戸口を持ち、内部は三階建ての構造、コールタールで水の侵入を防いでいました。箱舟が完成すると天から大雨が降り、やがて大洪水が起こりました。ノアは、箱舟が完成するまで実に120年の間、忍耐をしつつ、子供たちと作業を進めました。その間、周りの人間たちに神の預言を伝えました。『ノアの言葉には力があった。それは、神がそのしもべによって人間に語られる神の声であった。神との結合が、彼を無限の力によって強くした。彼は120年の間、人間の知恵で判断すればとうてい不可能だと思われる出来事に関して、当時の人々に厳粛な声で語った。・・・罪深い人類に対するあわれみの訴えはやんだ。野の獣と空の鳥は避難所に入った。ノアと彼の家族は、箱舟に入った。そして、「主は彼のうしろの戸を閉ざされた」(創世記7:16)。目がくらむ光がひらめき、いなずまより明るい栄光の雲が天から下って、箱舟の入り口の前にただよった。内側にいる者では閉じることのできない巨大な扉が、目に見えない手で静かに閉ざされた。ノアは、内側に入れられ、神のあわれみを退けた者は閉め出された。その扉の上には、神の印が押された』(人類のあけぼの上94、96頁)。そしていよいよ天から大雨が降り、やがて大洪水が起こりました。ノアの様子を見てあざ笑った人々をはじめ、箱舟に乗ったノアたち以外のすべての生き物は、この洪水で滅びてしまいました。・・・イエス様は、この旧約時代の出来事を通して、イエス様の再臨時に起きる世の終末預言をなさいました。ノアの時代に起こったことが再び、今の世の中で起こって来ることを言明されたのです。・・今年の7月8日に安倍晋三元首相の銃撃殺害事件がありました。参院選挙中だったこともあり全世界に衝撃が走りました。その背景には、統一教会と政界とのつながりが指摘されて、マスコミが連日取り上げています。イエス様が終末の徴として、『不法がはびこるので、多くの人の愛が冷える』(マタイ24:12)、そしてロシアとウクライナの戦争も記憶に新しく、まだ継続中ですが、『戦争の騒ぎや戦争のうわさを聞くだろうが、慌てないよう気をつけなさい。・・民は民に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に飢饉や地震が起こる。しかし、これらはすべて産みの苦しみの始まりである』(同24:6~8)。この個所で、エレン・ホワイトは『法王による大迫害が終わると、日は暗く月はその光を放つことをやめると、キリストは言明された。・・そのように、すべてこれらのことを見たならば、人の子が戸口まで近づいていると知りなさい』(各時代希望下98頁)と述べています。・・今、人工的に世界の食糧危機を起こそうと悪の勢力が働いています。まさしく飢饉にて世界を支配しようと企んでいます。その背景には、世界金融資本なるバケモノ組織があるのです。それが法王権力と繋がっていたりします。

 誰もが、平安と安泰を望みますが、聖書の歴史はどうでしょうか?イエス様はこの人間社会で長生きで安泰で最後まで幸せに暮らされたでしょうか?イエス様は、『再臨に備えていい意味で緊張して生活しなさい』と言われます。日々、私たちには労苦があります。それは、ある意味『この世が狂っているんだ』という証拠ではないでしょうか?毎日が同じではない。『昨日と同じ安心な生活はない』と思う方が逆に希望が見えて来るのでは!

最新記事

すべて表示
偶然の命ではない!

2024年4月27日(土)   「偶然の命ではない!」  LT(Loving Time)大平耕司 『このなぜ存在しているか分からない一度の不思議な人生、生きてて日々感じる言葉では表しにくい感情を、サックスで音として、または作曲して音楽を発信し、そこに共感して下さる方の人生に...

 
 
 
人生の目的とは?

2024年4月13日(土)   「人生の目的とは?」   LT(Loving Time)大平耕司 先日、妻と二人で近くの銭湯に行きました。470円という安い昔ながらの銭湯です。しかし、泉質は温泉なのです。とても温まります。さて、その晩銭湯から帰り食事をしたあとに、ふと石鹸箱...

 
 
 
イエスの奇跡!

2024年3月9 日(土)    「イエスの奇跡!」   LT(Loving Time)大平耕司 ある日、ホリーさんは、予約していた娘の誕生日ケーキをお店に取りに行きました。すると店員は「別の女性が支払ってくれました」と言ったのです。「あら、本当?...

 
 
 

Comments


bottom of page