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  • 執筆者の写真耕司 大平

神の国に入るために!

2023年12月23日(土) 「神の国に入るために!」 LT(Loving Time)大平耕司

今日私に与えられた聖書のメッセージです。

マタイ5章3節『心の貧しい人は、幸いである。天の国はその人たちのものである』・・・ナザレで少年時代を過ごしたイエス様は、ヨルダン川にてヨハネよりバプテスマを受けられました。その後、荒野で40日の断食を終えたイエス様は、ガリラヤ湖北部のカフェルナウムを拠点に福音を伝え始められました。モーセがイスラエルの民に「約束の地」に入る心構えを説いたように、イエス様もまた山の上で新しい「約束の地」、すなわち「神の国」に入るための教えを説かれました。その資質は八つにまとめられました(マタイ5:3∼10)。その教えの根底にあるのは地上と神の国、すなわち天国では価値が逆転するという教えです。心の貧しい人、へりくだった心を持つ人が、天国の住民であることを示します。この世で「義に飢え渇く人」は満たされ、「憐れみ深い人」は憐れみを受けます。現在の不幸や失われたものが、神の国では幸福となり、回復されることが約束されるのです。この世での苦しみが大きいほど、神の国ではそれが大きな喜びに変わります。

 イエス様は、ローマの圧政に苦しむ民衆に終末と神の国の到来を語り、そして神の国の恵みと赦しによる人間の悔い改めと神への信仰を説きました。イエス様は、神を信じ、与えられたことをひたむきに行う人を愛しました。その目は弱者に向けられ、律法の形式的遵守を行う人からは蔑まれた人々をも励まし救っていました。ある日、パリサイ派の人々が、彼らにとって重罪の姦淫で女を捕らえた時のことです。律法上では石打ちの刑に処される女について、パリサイ派の人々に聞かれたイエス様は、こう言いました。「あなたがたの中で、罪を犯したことのない者が石を投げなさい」(ヨハネ8:7b)。イエス様の教えの対象はユダヤ人に留まらず、広い範囲に及びました。異民族ばかりかユダヤを支配していたローマ人、自分に危害を与える者までも救いの対象としたのです。たとえばこんな具合にです。「悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の側の頬をも向けなさい。あなたを訴えて下着を取ろうとするものには、上着をも取らせなさい。・・愛し、迫害する者のために祈りなさい」(マタイ5:39∼40、44)。

 自由で逆説的な説教は、圧政と搾取に苦しんでいる下層社会の人々の心を惹きつけました。差別や偏見のなかで絶望的な生活を余儀なくされていた病人や障害者を癒されたことも、民衆に励ましと、慰めと希望を与えました。イエス様の名声は高まり、教えを聞き、病を癒してもらおうと多くの人々が慕い、イエス様の周りに集まりました。

 さて、イエス様が公生涯のはじめに悪魔から試みを受けられた時に、「人はパンだけで生きるものではない。神の口からでる一つ一つの言葉で生きる」(マタイ4:4)と言われました。イエス様は、私たちの人生のゴールは、アダムとエバ以来、人類の前から失われた天国への復帰であり、罪からの完全なる回復であることをはっきりと示されました。ですから、私たちの旅路は、回復への旅路です。その道しるべが聖書の御言葉です。神の口から直接語られた、大事な八つのステップが、この山上の説教の個所です。

 まず、第一ステップは、「心の貧しい人々は、幸いである。天の国はその人たちのものである」(マタイ5:3)です。つまり、自分が霊的に貧しい者であるということを知っている人は幸いであるという意味です。通常肉的には、経済的にも生活環境も恵まれているか、そうでないかは分かるのですが、霊的となるとそうではありません。では、霊的に貧しい者とは、いったいどういうことでしょうか?

私たちは、悪魔の誘惑により、アダムとエバが神から離れて、霊的に貧しくなりました。その貧しい人類の歩みは、自己中心という信仰に頼っています。つまり、自分が神様なのです。私たちの心には、悪いことをしてしまう罪の性質があります。この性質は、天国に行くまで私たちから離れることはありません。パウロはそのことをよくわきまえていました。「私は、自分が全くわかりません。ほんとうは正しいことをしたいのに、それができないのです。反対に、したいくないこと、憎んでいることをしていまいます。自分の行いが誤りであること、破っているおきてそのものは良いものであること、それはよくわかっています。しかし、どうにもできません。それをしているのは、もはや私ではないからです。悪を行わせるのは、私のうちに住み着いている、私より強力な罪なのです」(ローマ7:15~17英訳聖書)。これは、私たちの行動をよく言い表しています。私たちの日頃の問題は、良いと思っていることはなかなか出来ずに、悪いことをしてしまうことです。

そこから解放されるためには、まず問題の原因を理解することから始まります。この問題はアダムとエバの時からあります。神は彼らをエデンの園に住まわせられましたが、2人はこの園を自分たちの手でコントロールしたいと思いました。それで、悪魔のヘビに、神が禁じられたこの木の実を食べると「あなたがたも神のようになれますよ」とささやかれました。これが問題のはじまりです。私たちは、自分ですべてをコントロールしたいと考えます。神に代わって、利己的な思いで『すべてをコントロールしたい』と神を演じるようになります。これが問題の本質です。自分を、人を、状況を、その他あらゆるものをコントロールしたいという欲求です。私たちは、自分自身のイメージや周りの人、そして、自分の問題や痛みをコントロールしようとして、神を演じます。例えば、痛みから逃れるために、酒やタバコ、麻薬や異性に頼ったりします。あるいは、だれかに怒りをぶつけたり、人を批判し裁くことで痛みを隠そうとします。それが内側に向くとうつ状態に落ち込むこともあります。しかし、そのコントロールがうまく行かないとき、自分ではすべてをコントロールできないと気づくとき、否定していた問題や痛みが現実のものとなります。神を演じ続けると、4つの問題が生じます。恐れと挫折感と疲労、そして最後は失敗です。神ではない人間が、すべてをコントロールしようとすると当然ながら様々な問題が生じます。自分は神ではなく、すべてをコントロールすることなどできないことを認めること、そこからが、イエス様の導かれる回復への道が始まります。

イエス様が、周りに集まってきた群衆に、まず最初に「心の貧しい者は幸いである」と言われたのには、大きな理由があります。つまり、真の信仰にとっての第一歩は、自分が無力であることをまず認めるところにあります。自分の弱さを認めるところに神の力が現れると聖書は語ります。自分が神ではないことを認めるということは、人生における重要な3つの事実に気づくということです。そこから回復への成長が始まります。その一つ目が、自分には自分の過去を変える力がないことを認めることです。過去に自分が受けた傷は、今でも心に残っています。特に10歳ごろまでに受けた心の傷は強烈に残り、今でもその影響を受けています。どんなに憤ってみてもその過去の出来事を変えることはできません。そして、二つ目は、自分にはまわりの人をコントロールする力がないことを認めるということです。自分以外の別人格に対して、コントロールするのは完全に不可能です。他人の責任をとることはできないし、ましてや他人をコントロールすることなどできません。三つ目は、自分には自分自身をだめにする習慣や振る舞い、また行動をやめる力がないことを認めることです。アルコールや怒りなど悪いことだと分かっていながら、今まで何度もやめようとしてきました。私たちには意志の力を超えた何かが必要なのです。それは、神の力です。私たちは神を必要とするように造られているのです。聖書には次のように書かれています。「神は、高慢な者を敵とし、謙遜な者には恵みをお与えになる」(ヤコブ4:6)。恵みこそ私たちを変える力です。恵みとは神が与えてくださる力であり、その力によって、自分の願うような、そして神が願っておられるような変化が人生にもたらされるのです。心の傷や悪習慣から回復していくためには、神の恵みが必要です。では、どのようにしたらこの恵みを自分のものとすることができるのでしょうか。その方法はただ一つ、へりくだることです。自分の弱さを認め、へりくだることから始めましょう。神の国に入るために、あと7つのステップをイエス様は話されました。来週へと続きます。

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