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神の群れ!

  • 執筆者の写真: 耕司 大平
    耕司 大平
  • 2023年9月2日
  • 読了時間: 7分

2023年9月2日(土)     「神の群れ!」     LT(Loving Time)大平耕司

ヨシュア記24章13、14a節『「私はさらに、あなたがたが自分で労せずして得た地、自分で築いたのではない町を与えた。あなたがたはそこに住み、自分で植えたのではないぶどう畑とオリーブ畑の果実を食べている。」今こそ、あなたがたは主を畏れ、真心と真実をもって主に仕えなさい。』・・・これは、ヨシュア記の最後の章である24章のシェケムの契約の一文です。ヨシュアは、イスラエルの全部族をシェケムの町に集め、彼らの前で「イスラエルの神、主はこう言われる」(ヨシュア24:2b)と神様からのメッセージを語りだしました。その中で、神は、「私がイスラエルの民を暗闇から導き出し、最後に安住の住まいと豊かな食物を与えたのだ」と語られました。それゆえに、「あなたがたは主を畏れ、真心と真実をもって主に仕えなさい」とヨシュアが民に訓戒しています。それに対して、すべての民は、ヨシュアに向かって、「私たちは私たちの神、主に仕え、その声に聞き従います」(同24節)と誓いを立てました。「その日、ヨシュアは民と契約を結び、シュケムで掟と法とを定めた。ヨシュアはそれらの言葉を神の律法の書に記し」(同25節)とあります。神の群れは、神と契約をし、それを彼らの律法とし、守り行う民です。それが彼らの中心となり、よりどころとなって求心力を発生させました。

 さて、神との契約とはどういうことでしょうか。人間の神に対する契約は、上記にあるように、「神に仕え、その声に聞き従う」ということです。そして、神の人間に対する契約は、「安住の住まいとか食物など、神の祝福を与える」ということです。信仰の父アブラハムに与えられた神の約束も、やはり、子孫の繁栄、つまり、祝福された神の群れを作り、その民に安住の地を与えるということでした。

 まず、私たちの契約は、「神に仕え、その神に従う」ということです。ヨシュアなど旧約時代の神の民のそれは、モーセに与えられた数々の律法に従い生活をする事と、行く先々でヨシュアやその後の士師、ダビデなどのリーダーに与えられた神の御声に従って行動するということでした。では、現代の私たちは、どうすればいいのでしょうか。イエス様は「互いに愛し合いなさい。これが私の命令である」(ヨハネ15:17)と弟子たちに言われ、その生涯の最後には、ペトロとのこのようなやりとりがありました。『イエスは言われた。「ヨハネの子シモン、私を愛しているか。」ペトロは、イエスが三度目も、「私を愛しているか」と言われたので、悲しくなった。そして言った。「主よ、あなたは何もかもご存知です。私があなたを愛していることを、あなたはよく知っています。」イエスは言われた。「私の羊を飼いなさい。」・・「私に従いなさい」と言われた』(同21:12~19)。つまり、神に仕えるとは、「神を愛し、また互いに愛し合い、そのことにより、神の群れを養う」ということに集約されるのではないでしょうか。

 そうすれば、「神の祝福が与えられる」と、神は私たちと契約されました。イエス様は「心を騒がせてはならない。神を信じ、また私を信じなさい。私の父の家には住まいがたくさんある。もしなければ、私はそう言っておいたであろう。あなたがたのために場所を用意しに行くのだ。行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたを私のもとに迎える。こうして、私のいる所に、あなたがたもいることになる」(同14:1~3)と約束されました。その様子は、「見よ、神の幕屋が人と共にあり、神は人と共に住み、人は神の民となる。神自らが人と共にいて、その神となり、目から涙をことごとく拭い去ってください。もはや死もなく、悲しみも嘆きも痛みもない。最初のものが過ぎ去ったからである」(黙示録21:3b~4)とヨハネを通して、神の祝福が描写されています。それは、この世の安住の地ではなく、新たに創造される究極の楽園にて、永遠の命と安住の住まいとその生活に必要なすべてのものが与えられるということです。

 神はその初めに、安息日を制定されました。創造の7日目に休まれて、神を覚え礼拝をしなさい。神との愛の交わりに入りなさいと、関係を求められました。そして、アダムと

エバの間に結婚制度を制定されのです。つまり、男女が愛し合い、神の前に契約をして、子孫を残していくということです。愛するためには相手が必要です。愛し合う関係を持つ神の群れが必要なのです。

 私が、聖書の神様を信じるようになったきっかけは、父の死でした。仏壇の父親の位牌に向かって、朝晩拝んでいた私に一つの疑問が生じてきたのです。自分や家族の健康やビジネスの成功を拝んでいた私にとって、死んだからといって人間が神になるわけでない、ということでした。やはり、きっと神と呼ばれるにふさわしい存在がおられるにちがいないというわけです。それから、不思議と牧師や聖書との出会いが重なって、少しずつ愛の神の存在に導かれていきました。イエス様との出会いにより、自分を心から慈しみ、愛してくださる神の存在を知ったのです。心がなんとも言えない祝福に満たされ、愛に包まれた経験を与えられたのでした。クリスチャンの皆様も通られた経験だと思います。

 しかし、時が経つごとに、また、聖書の内容を知るにつれ、個人的に自分に愛を降り注いでくださるイエス様の像だけではない、ちょっと違う像もあるぞ、と思えるようになってきたのです。どういうことかと申しますと、どうも、イエス様は、私自身やそれぞれ個人を深く愛して下さるとともに、それだけではなく、イエス様がさらに愛されるのは、神の群れだということではないか、ということでした。いつも私個人を注視し、愛していてくださるということよりも、愛し合う神の民の群れに焦点を合わせておられるということです。つまり、イエス様の愛は、優先順位で私が一番目、その次が、神の群れ、というのではなく、その反対で、第一が神の群れ、その次が私ということです。そう考えると、なんだかちょっぴり寂しいような気がしました。またそこが疑問でもありました。

 どういうことでしょうか。罪ある人間は、どうしても自己中心的な性質があるために、すべての愛情を自分に集めたいというワガママな心があるのも事実です。「隣人を自分のように愛しなさい」(マタイ22:37b)、「私があなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい」(ヨハネ15:12)と言われた事にも関連しているのかもしれません。つまりイエス様が私たちを愛してくださるのは、自己中心の罪の影響から少しずつ離れ、隣人を愛することができるようになるためだということです。「二人または三人が私の名によって集まるところには、私もその中にいるのである」(マタイ18:20 )と言われたイエス様は、関係の中に存在されます。三位一体の神は、父なる神、子なる神、聖霊なる神のお三方の関係の中に存在されます。愛は相手との関係に存在します。だから、「神は愛です」(Ⅰヨハネ4:16)ということができるのです。旧約時代の神の愛は、個人というよりも、明らかに神の群れを重要視されておられるように思われます。それでも、関係の中に存在され、それを繰り返し示されました。神がいかに民と関係を持たれたか、冒頭の神の民へのメッセージでもよく分かります。そして指導者たちも神との信頼関係を貫き、民もその時代に立てられた指導者との信頼関係の中に生き続けてきたのです。信頼関係の絆は、契約という形で具現化しました。神がモーセと交わされた契約は、十戒という形で明文化され、その要約は、それぞれ個人が、神と人との信頼関係を保ちなさいというものです。またそれは、天国の愛のルールを示しています。そして、イエス様の時代になると、人間個人に深く焦点をあてておられるように思われます。でもやはりその中であっても、最終的には神の群れを愛されることには変わりがないようです。確かに愛という存在は、神と人そして、人と人との信頼関係の中にのみ生き続けるのです。イエス様は、「私が天から降って来たのは、自分の意志を行うためではなく、私をお遣わしになった方の御心を行うためである」(ヨハネ6:38)という主張を繰り返され、父なる神と関係を最後まで貫かれました。そして、「父よ、彼らをお赦しください」(ルカ23:34)と瀕死の十字架の上から罪ある人間に心からの愛の関係を示されたのです。99.9999…%の罪に支配された自分自身よりも、愛の信頼関係を保っている神の群れの中に、確かに神は存在されるのです。

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