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私に必要なもの!

  • 執筆者の写真: 耕司 大平
    耕司 大平
  • 2022年1月15日
  • 読了時間: 6分

2022年1月15日(土)  「私に必要なもの!」  LT(Loving Time)大平耕司 

私は高校2年生のときうつ病になった。きっかけは2年半付き合った彼氏に振られたことと、友達からハブられるようになったことだと思う。毎日泣いてた。プライドが許さなくて先生にも両親にも泣いてる理由を話せなかった。そんな私に母親は「先生にも友だちにも恵まれてるのになんでそんな泣くのよ。」と言った。また涙が出た。その友だちがいないんだよと。だんだん学校に行くのが辛くなって、行きの電車、帰りの電車は毎日泣いてた。電車で一緒だった人はなんだこいつと思ってただろうな(笑)。

毎日目を腫らして学校に行くもんだからある先生が心配してくれた。でも、言えなかった。もともと自分の話をするのは得意じゃなかったし人を信用することもできなかった。でも先生は諦めずに私に寄り添ってくれたんだ。ある日放課後、教室で2人で話をした。といっても先生が一方的に話してるだけだったけど。ゆったりとした空間で私はまた泣いた。話を聞いたからでもなく、なんの理由もなく泣いた。先生は落ち着いた様子で「どうした?」って。知ってるくせになあ、なんて思ったりもした。やっと話そうと決意したときでも私はまだ話せなかった。言葉が胸につっかえて出なかった。5分くらいかな。時間をかけてやっと話した言葉は「もう息をするのが辛い」だった。

先生は責める様子もなく静かに泣き始めた。ぽろぽろと。「ごめんね、なにか言葉をかけるべきだよね。でも、でも、こんなに涙が出てくるのは、あなたが私にとって大切な存在だからなんだね」って。先生にとっちゃ数多くいる生徒の1人だし、ましてや赤の他人だし。でも、その涙が私よりも私を大切にしてくれている証みたいで、今度は嬉し泣きした。最終的には2人で涙と鼻水でぐちゃぐちゃになって泣き腫らした。

それから心のつっかえがすごくとれて、心が楽になった。泣くことも眠れないことも少なくなった。私に必要だったのは同情でも心配でもなく、大切にされているという実感だったんだ。生きててもいいんだと。先生、あのとき私のために泣いてくれてありがとう。私、先生みたいになりたくて、今教師になって頑張ってるよ。生徒はすんごい生意気だけど(笑)、いつか私も先生のように人のために笑ったり怒ったり泣いたり愛情深い人になれるよう、頑張ります。*****************インターネット記事「naku」より*************

さて、今日私に与えられた聖書のメッセージです。

ガラテヤ5章13,14節『兄弟たち、あなたがたは、自由へと召されたのです。ただ、この自由を、肉を満足させる機会とせず、愛をもって互いに仕えなさい。なぜなら律法全体が、「隣人を自分のように愛しなさい」という一句において全うされているからです。』

・・・パウロは、このあとに、「だが、互いにかみ合い、共食いしているのなら、互いに滅ぼされないように注意しなさい」(同15節)と続けて語っています。つまり、「あなたがたは互いに愛し合って生きていくという問題を解決しないかぎり、生きては行けず、全滅してしまうだろう」というのです。私たちは、ここでパウロが述べているように、「愛し合うように」と命を与えられました。イエス様は、その生涯において、その手本を示されたのです。イエス様は、ユダヤ人社会において、律法主義の中で、差別され、裁かれ、さげすまれ、社会の隅に追いやられた、孤独で、弱く、貧しい人たちを心から愛されて回られました。弟子たちもその中の人たちでした。ユダヤ人の誰からも嫌われていた、徴税人(ローマが課した税金を集める人)マタイに声をかけられ、ガリラヤ湖で貧しい漁師だったペテロたちを弟子に招かれました。また、ユダヤ人から石打ちの刑で殺されかかっていた姦淫の女を救われ、38年もの間病気が癒されるようにとベトザタの池のほとりに横たわっていた病人を癒されました。町や村のコミュニティから追い出されたライ病人もそうでしたが、彼らの手を優しく取られ病気を完全に癒され、再びユダヤ社会の中に戻されました。その他にも数えきれないほどの恵みの業をされ、人々を心から愛し、労り、寄り添われました。そして、弟子たちに「あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。私があなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。互いに愛し合うならば、それによってあなたがたが私の弟子であることを皆が知るようになる。」(ヨハネ13;34,35)と言われました。互いに愛し合うことによって、イエス様の弟子であることを周りに証できると言われたのです。愛するということは、見返りを期待しないで人を愛することです。それは、人間の自己中心的な性質と真逆なことですので、簡単なことではありません。でも、このことは一生をかけて学び、実践していくべきことなのです。

 イエス様は、人間を愛するためにこの世に来られました。そして、私たちもイエス様が愛されたように、隣人を愛することを願っておられるのです。私たちは互いに定期的な交わりを持ち、その友情を深めることが期待されています。その中で愛は育まれていくからです。愛は一人では学ぶことができませんから、人間関係の中に飛び込んでいく必要があります。中には、人の神経を逆なでするような人もいるでしょう。しかし、その中でこそ大事なことが学べます。パウロは、このように続けます。「霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です」(ガラテヤ5:22,23a)。イエス様を見上げつつ、歩むならば、聖霊の賜物として、このような資質が与えられていきます。また他の個所では、「私が何を言おうと、何を信じようと、そして何をしようと、愛がなければ無に等しい」(Ⅰコリ13:1~3)と。愛のない人生は全く価値のないものと語ります。

 私たちは永遠の命をもらい、天国で暮らすように召されています。であるならば、この世は天国のデモンストレーションの場ともいえます。その準備をする期間がこの世というわけです。なぜならば、「神は愛」(Ⅰヨハネ4:8)だからです。愛がすべてです。私たちが生きるとは、愛することです。それこそが、永遠に残ります。「永遠に残るものが三つあります。すなわち、信仰と希望と愛です。そして、この中で最も偉大なものは愛です」(Ⅰコリント13:13)とあるとおりです。

 ですから、冒頭の聖句ですが、パウロは、私たちに与えられた自由は、自己中心の欲望を満足させるのに使うのではなく、隣人を心から愛するために使いなさいと述べています。それは、神様が与えられた十戒に代表される律法は、隣人を愛するためのルールに他ならないからだと続けて説明しています。十戒である律法をまとめると、「神を愛し、人を愛しなさい」ということです。従って、イエス様が言われたように、「私があなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」ということになります。

 さて、私たちが、隣人を愛する最善の方法とは何でしょうか?・・・それは、一緒に時間を過ごすことでしょう。なぜならば、自分の時間を人のために費やすということは、自分の命を与えていることになるからです。私たちに求められているのは、実際に自分自身を与えることです。これは、高価な贈り物よりも、かっこいい言葉よりも、「あなたは私にとって私の最も貴重な財産である時間を与えてよいほど大切な存在です」というメッセージを与えることになります。自分のやりたいこと、楽しみ、なども放棄して与えることになるからです。・・・今すぐ、大切な人のために時間を費やしてください。・・・

「可能な時はいつでも、助けを必要としている人たちに良くしてあげなさい。今助けることができるのに、隣人に対して明日まで待つようにと言ってはなりません」(箴言3:17,18)                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                

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