聖なるしたごころ!
- 耕司 大平
- 2022年4月30日
- 読了時間: 7分
2022年4月30日(土) 「聖なるしたごころ!」 LT(Loving Time)大平耕司
佐久間象山(しょうざん)は文化8(1811)年、真田松代藩の下級武士の子として生まれました。生まれ持って気が強く、ガキ大将であると共に神童とも呼ばれました。6歳の時にすでに四書(ししょ:儒教の基本経典)を読破し、近所の子供たちを集めて道端で講義していたといいます。あるとき佐久間家を訪れた藩主・真田幸貫(松平定信の子)が、14歳になる象山を一目見て、その天性を見抜きました。その縁により象山は学識を磨くために江戸の佐藤一斎(幕府の儒官:当時最高の学者)の門をくぐりました。彼はここで頭角を現しました。その後1842年、藩主の政治顧問となり、西洋兵学の先学だった江戸川太郎左衛門に入門します。ここで翻訳洋書を自力で読破し、その成果として献上したのが『海防八策』です。つまり、「五大州をわが手に収め、その盟主となって、全世界に号令する」といった、象山らしい気宇壮大な構想のもと、西洋式火器(大砲)の大量製造と海軍の設置育成を説くといった国民一致政策でした。その後、彼が41歳の時に、藩主のはからいで、松代藩主の身分のまま、江戸木挽町において儒学と蘭学と砲術の「象山塾」を開きました。すでにこの時、儒学と西洋兵学を修めていた象山は、文字通り「天下の師」として有名になっていました。その塾には勝海舟や吉田松陰、西郷隆盛、坂本龍馬、桂小五郎、大久保利通など幕末のスターたちがほぼ全員集っていました。彼らは皆、象山が『海防八作』で唱えたナショナリズム思想と、それを具体的に展開する国家戦略に共鳴して集まりましたが、その師弟が共通して抱いていたのは「いま日本は非常時にある」という危機意識でした。幕末とは、嘉永6(1853)年にペリーが戦艦四隻をもって来航し、明治維新(1868年)が成り立つまでの15年閑をいいますが、この期間、日本中が湯釜をひっくり返したように熱くなった、その最前線にいたのが象山塾に集まった人々だったのです。彼らは誰もが変革を求める“非常の人”だったのです。乱世にあって門閥にあぐらをかいた温室育ちのエリートでは何の役にも立ちません。非常の時にはその制度を超えて“非常の才”を発揮する者でなければなりません。
最初の発火点は、ペリーが軍艦四隻を引き連れて浦賀沖に来た時でしたが、このとき象山は弟子たちと共に江戸からすっ飛んで見に行きました。そして思いました。「これではとても外国には勝てない。早く西洋式の軍艦と大砲を造り海軍を創設しないかぎり、日本はアヘン戦争(1840~42年)における清国のように負けてしまう」。この危機感が彼らを焦らせました。そこで愛弟子の松陰が、象山のいう「夷の術を以て夷を制す」(外国の技術をもって外国をやっつける)の教えを実行するために、「ペリー艦隊に乗船して敵国を視察したい」と密航の計画を象山に打ち明けます。でも鎖国中です。破れば大罪です。それを承知で象山は承諾をします。二人にとっては法を破ることが正義だったのです。そして松陰は、そのすべてを翌年の安政元(1854)年、ペリーが再来航したおりに決行しました。下田沖のペリー艦隊に乗船したまではよかったのですが、ペリーがこれを拒否したために失敗。松陰は自ら下田奉行所に出頭しました。同時に、象山も同罪ということになり、国元に帰り蟄居(ちっきょ)ということになりました。この間に書かれたのが、『省諐録』(せいけんろく)でした。省諐(せいけん)とは、過ちを省みるという意味で、象山はこの蟄居を機会に、これまでがむしゃらに突き進んできた自分を振り返って反省するとの趣旨でタイトルを付けました。しかし、反省しているのは表むきで、中身は自負と使命感の塊でした。この本の冒頭の書き出しです。「自分の行為の判断基準は、自分で決めるべきである。行為の結果を本当に味わうことができるのは自分しかいない。罪の有無も自分自身の問題であって、ほかからこうむった罪など気にかける必要はない。私は私の誠意を貫いて罰を受けたのである。これを恥だと思うようであれば、それは、不正の手段で金持ちになることを栄誉とするのと変わらない・・・。」
つまりこういう事です。主人の病気を心配している人が、求めていた薬を見つけたとします。しかし、主人はその名前を嫌って服用しようとしません。そこで、知恵を使い主人をだましてでもこの薬を服用させるか、もしくは、何もせずに死ぬのを待つかですが、忠誠を誓った家臣として、或いは妻や子供の立場として、何もせずに見ているというわけにはいきません。あとで怒られるということがわかっていても、こっそりとこれを服用させることが善になります。他人が知り得ないことを自分だけが知っており、他人にはできないことを自分だけができる。特別に天の恵みを授かっている自分が、自分一人のことだけ考え、天下のために考えないのは、それこそ天に背いていることになります。その罪は大きいといわねばなりません。「俺がやらねば誰がやる」という気概を彼は示したのです。非常時にはこうした“非常の才”がなければ突破できないものです。*******************************************************************************
今日私に与えられた聖書のメッセージです。
ヨハネ13章7節『イエスは答えて「私のしていることは、今あなたには分かるまいが、後で、分かるようになる。』・・・イエス様は最後の晩餐において、弟子のペトロに十字架の奥義についてお教えになりました。イエス様は、ペトロの足を洗われましたが、ペトロは「私の足など、決して洗わないでください」(同7節)と言いました。そして、イエス様が「私の行く所に、あなたは今ついて来ることができないが、後でついて来ることになる」(同36節)と言われたら、「主よ、なぜ今ついて行けないのですか。あなたのためなら命を捨てます」(同37節)とペトロは答えてしまいます。すべてペトロの考えの中には、「自分の力でイエス様の教えを守り、従っていく」という自力本願的なものが見え隠れしています。もちろん、可能な限り自己の力を出し切り、神様に忠誠を尽くすことは大事ですが、自分ではどうしようもない重荷は、神様にお委ねしなければなりません。特に罪の赦しに関しては、イエス様の十字架の贖いによらなければなりません。とにかく神の救いの計画は、「世の光」である救い主イエス・キリストが、人間に裏切られ十字架の残酷な刑によって殺されるという不可解な方法によってしか、達成されませんでした。このことは、イエス様が死から復活された後に弟子たちが知ることとなったのです。人間の罪の弱さに対する神の限りない愛と永遠への招待という最上の宝が、無償で私たちに与えられたのです。『イエス様の十字架の贖い』これは、神様の聖なる知恵であり、奥義でもあります。驚くべきことに、イエス様は、この奥義を伝えるためにそれ以前に、ここでも不可解なことを弟子たちにお話しされたことがありました。
ある金持ちに一人の管理人がいました。この男が主人の財産を浪費していることがばれてしまいました。すると主人から解雇が言い渡されてしまいます。困ってしまったこの男は悪知恵を働かします。クビになる前に、主人に借金のある者たちを呼んで、借用書を書き直させます。つまり、彼らの借金が少なくなるように便宜を図ったのです。そうすればこの男がクビになった後の天下り先を確保できるのです。ここまで話されたイエス様は最後に驚くべきことを話されます。「そこで、わたしは言っておくが、不正にまみれた富で友達を作りなさい。そうしておけば、金がなくなったとき、あなたがたは永遠の住まいに迎え入れてもらえる。・・他人のものについて忠実でなければ、だれがあなたがたのものを与えてくれるだろうか」(ルカ16:9,12)。もちろん、本当に不正を働かしなさいということではありません。霊的にお話されておられるのです。ここでイエス様は、神の奥義を伝えるために、聖なるしたごころを使いなさいと述べておられます。福音を伝えるためには知恵が必要です。人間は罪にまみれた愚か者ですが、それでも大切な家族や隣人に、今この瞬間でしか伝えられない永遠の宝を、なんとしてでも受け取ってもらいなさい、差し上げなさい、と励ましておられるのです。この世では、金持ちが貧乏人を助け、来るべき世では貧乏人が金持ちを助けるのです。人間の富とは、ほんとうは、どれほど持っているかにではなく、どれほど与えたかにあります。現在は“非常の才”が必要な時なのです!
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