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苦難ゆえの祝福!

  • 執筆者の写真: 耕司 大平
    耕司 大平
  • 2022年11月5日
  • 読了時間: 7分

2022年11月5日(土)   「苦難ゆえの祝福!」   LT(Loving Time)大平耕司

イエス様がガリラヤ湖のカペナウムに対岸のガダラ人の地から戻って来られると、群衆が集まってきてイエス様を迎え、彼らに教えたりしておられました。すると、会堂長のヤイロが非常な苦しみをかかえ足もとに身を投げ出し、「私の幼い娘が死にそうです。どうか、おいでになって手を置いてやってください。そうすれば、娘は助かり生きるでしょう」(マルコ5:23)と叫びました。イエス様はすぐにこの長老と一緒にその家へお出かけになりました。その家までは近いでしたが、群衆が四方から押し合ったので、イエス様一行はゆっくりと進まれました。心配な父親は、遅くなるのが我慢できませんでした。しかしイエス様は、人々を憐れんで、時々立ち止まっては病人の苦しみをやわらげ、癒したり、心の悩みや痛みを慰められたりされました。この父親であるヤイロは、一刻も早く娘のところにイエス様をお連れしなければならないと先を急ぐ心でいっぱいでした。娘が死んでしまったらどうにもならないと焦っていたのです。この男は、ユダヤ人の集まる会堂(シナゴーグ)の責任者(長老)をしていました。ユダヤ人の教会の長老です。この会堂はあちこちにありました。礼拝堂でもあり、公民館的な働きもしていました。町や村の共同生活センターとも言える場所です。そこの責任者ですから、人望も厚く信仰もしっかりと持っていた人でした。イエス様は、その当時のユダヤ人指導者の間では評判が良かったわけではありません。この会堂長のヤイロもイエス様の非難の声を聞いていたかもしれません。しかし、今はそんな事を言っている暇もありません。この方に救っていただく以外に方法はないと思いました。しかし、イエス様は病人と話しておられます。その間に、ヤイロの家から使いが来て、「お嬢様が亡くなりました。もう、先生を煩わすには及ばないでしょう」(同5:35) と言いました。『娘はもう死んでしまった。もうおしまいだ』という一撃が父親の心を襲いました。だから彼は、『先生、もういらしてくださる必要はありません。もう仕方がなくなりました』と言おうとしていました。ところが、イエス様はその話をそばで聞いて、「恐れることはない。ただ信じなさい」(同5:36)と絶望のどん底にいる父親に言いました。ヤイロはその言葉を聞くと悲痛な心に一瞬光が射し込みました。より一層イエス様のそばに寄り添い、一緒に自分の家に急いだのです。家ではすでに雇われた泣き人や笛吹きなどと群衆がつめかけてわめき泣き騒いでいました。イエス様は彼らを静めようとして「なぜ、泣き騒ぐのか。子供は死んだのではない。眠っているのだ」(同5:39)と言われました。群衆は子供が死んだのを見て知っていたので、イエス様の言葉に憤慨し、あざ笑いました。『なんと愚かなことをいう人か、死を指して眠りとは、この人は頭がおかしい』と思ったにちがいありません。イエス様は部屋からすべての人を出して、娘の両親とペテロ、ヤコブ、ヨハネの三人だけを連れて死んだ娘の部屋に入られました。イエス様は寝床に近づき、娘の手を取り「タリタ、クム」と言われました。これは当時イエス様が話されていたアラム語です。「少女よ、さあ、起きなさい」と呼びかけられたのです。その瞬間、意識のない少女の身体にかすかな動きが伝わりました。生命の鼓動が再び始まりました。くちびるは微笑みました。あたかも眠りから覚めたように両眼をぱっちり開くと、少女は周りの人々をじっと見つめました。自分の娘が死から蘇り、起き上がると、両親は抱きしめて、喜び泣きました。それはまさに人々の目に死と見えた重い隔たりの壁を取り払い、人を甦らされたイエス様の言葉の真実を群衆に示された出来事でした。

私たちはあまり死を意識しないで生きています。死には打ち勝たないからです。最初に会堂長のヤイロや家族が娘の死を絶望視したように、死の壁はあまりにも重く私たちにのしかかります。死の向こうに新しい世界があるなんて到底思えません。しかし、「私を信じる者は、死んでも生きる」(ヨハネ11:26)と言われたイエス様は、人間の力ではどうしようもない、その強烈な絶望を真実の希望に変えてくださいます。「恐れることはない。ただ信じなさい」と言えるお方は、イエス様たったお一人なのです。

今日私に与えられた聖書のメッセージです。

マルコ5章34節『イエスは言われた。「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して生きなさい。もうその病気にかからず、元気に暮らしなさい。』・・・『ここに十二年間も出血の止まらない女がいた。多くの医者にかかって、ひどく苦しめられ、全財産を使い果たしても何の役にも立たず、ますます悪くなるだけであった。イエスのことを聞いて、群衆の中に紛れ込み、後ろからイエスの服に触れた。「この方の服にでも触れればいやしていただける」と思ったからである。すると、すぐ出血が全く止まって病気がいやされたことを体に感じた。』(マルコ5章25~29節)

さきほどの会堂長ヤイロが不安を抱えドキドキしながら、家路を急いでいるときに、ひとりの女がイエス様の前に割り込みます。この女は出血が止まらないという婦人病で苦しんでいました。12年間も治療して良くならず、財産を使い果たしていたのです。この女は人知れず長い間苦しんでいました。女に近づくと血の匂いまでしたかもしれません。そして、今は貧しさのどん底にいました。家族にも捨てられていたかもしれないのです。どうしようもない深い絶望の中でイエス様のことを聞きました。『人々の病を癒しておられる、それほどの力を持った方が自分たちの住んでいるこの地方にやってきておられる。イエス様のもとへ行きさえしたら、自分は癒されるのだ』と確信したら、希望が湧きおこりました。そこで、人目を恐れつつ出て行きました。イエス様の周りには群衆がいました。しかし、女にとってはそれが幸いでした。匂いのする病人の自分がイエス様の前に堂々と行く勇気は当然ありませんでした。必死で群衆の雑踏の中に紛れ込み、後ろからそっとイエス様の衣のすそにかすかに触れることができました。誰にも分からないように、せめてそのみ衣にでも触ることが出来れば、という思いだけでした。そうしたらたちまち、今までどうやっても止めることができないで12年間漏れ続けていた血が止まってしまったのです。病気が癒されたということが、身体の感覚ではっきりと分かりました。女はどんなにか驚いたことでしょう。感謝と喜びをもって、群衆の中からそっと退こうとしたその時、突然イエス様が立ち止まられ、人々も一緒に立ち止まりました。イエス様は振り返り、群衆のざわめきを圧倒してはっきり聞こえる声で、「だれが私に触れたのか」(同5:30)と言われました。そこで弟子たちが、「群衆があなたに押し迫っているのがお分かりでしょう。それなのに、『だれが私に触れたのか』とおっしゃるのですか」(同5:31 )と言いました。

イエス様は、「誰かが私に触れた。私から力が出て行ったのを感じたのだ」(ルカ8:46)と答えられました。イエス様の衣に触れた人はたくさんいました。しかし、その中で、この女の触り方は違っていたのです。イエス様から力を引き出したのです。女はそっと分からないようにちょっと触っただけなのです。しかし、一心に触りました。すべての願いを込めて必死に触ったのです。彼女は震えながら前に出て、イエス様の足下にひれ伏しました。感動の涙を流して、自分の苦難の物語を告げ、救われた次第を語りました。そこで、イエス様は冒頭の言葉を語られたのです。「娘よ、あなたの信仰があなたを救った…」。イエス様は、癒しが行われたのは、イエス・キリストとの外面的な接触によってではなくて、イエス様の天来の力にすがる信仰によってであることをお示しになられたのです。

イエス様は、肉体の病気を癒されましたが、その目的は霊的な事柄を示すためでした。つまり、ヤイロの娘の蘇りは、この世にとどまらず、死の先に永遠の世界があることを示されたのです。つまりイエス・キリストを信じる信仰により、罪を贖われて、私たちが永遠の命に蘇ることです。長血を患った女の癒しでも、イエス・キリストを信じ触れさえすれば、すべての救いが与えられることを示されました。耐えきれない苦難を味わうことは誰でも避けて通りたいのが人情です。とても嫌なことですが、でもそれによって神の世界を垣間見ることができます。星野富弘さんやヘレン・ケラーのように身体や視聴覚の自由を奪われた人が、神への信仰にあって弱い人々へ深く寄り添い、大きな貢献をしました。

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