誰もが避けられない死?
- 耕司 大平
- 2023年10月7日
- 読了時間: 7分
2023年10月7日(土) 「誰もが避けられない死?」 LT(Loving Time)大平耕司
以前、永六輔さんのベストセラーに「大往生」という本があります。見たことがあるという方が多いのではないでしょう。その中に、このようなくだりがあります。
『上海日本人学校の廊下の壁に、宮沢賢治の詩が張ってあるのを見た。もう何度読んだかという詩であった。「雨にも負けず、風にも負けず」。この詩を読み、最後の「そういう者に私はなりたい」と結ばれているのを、長い間好きになれなかった。「そんな人になれるわけがない」と思っていたのである。それが、この詩を活字で読んだときの感想だった。・・上海日本人学校の廊下で、私は声を出して読んだのである。そして終わりまで読む前に声が出なくなってしまった一行に出会う。今まで、何度この詩に触れたことだろう。それなのに、どうして一行を読み過ごしてしまったのだろう。こんなに大切な一行を!あらためて、その行までを書く。・・・・宮沢賢治「雨ニモマケズ」・・・・・
雨ニモマケズ 風ニモマケズ 雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ 丈夫ナカラダヲモチ 慾ハナク
決シテ瞋ラズ イツモシヅカニワラツテヰル 一日ニ玄米四合ト 味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ ジブンヲカンジヨウニ入レズニ ヨクミキキシワカリ ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ 小サナ萱ブキノ小屋ニヰテ 東ニ病気ノコドモアレバ 行ツテ看病シテヤリ 西ニツカレタ母アレバ 行ツテソノ稲ノ束ヲ負ヒ 南ニ死ニサウナ人アレバ 行ツテコハガラナクテモイヽトイヒ
「南に死にそうな人あれば/行って恐がらなくてもいいと言い」
宮沢賢治は「怖がらなくてもいい」とだけ言うのだろうか。それとも怖がらなくてもいい理由をきちんと説明しているのだろうか。私は、上海日本人学校の廊下で立ちつくしてしまった。私は「死にそうな」友人、中村八大、いずみたくの二人に「怖がらなくてもいい」とは言ってない。二人の死の直前にしたことは、できるはずもない予定を立てただけだった。死を恐れている人を勇気づけることにはならなかった。ひょっとして二人は死を前に、きちんと私に伝えることがあったかもしれないのだ。』
宮沢賢治の「雨ニモマケズ」という詩は、不朽の名作だと思います。この詩にはモデルがいると言われています。宮沢賢治と同じ岩手県の花巻にいた「斉藤宗次郎」というクリスチャンが、その人だと言われています。この斉藤宗次郎という人は、小学校の教師をしていました。教師になった頃、内村艦三の影響を受けて、クリスチャンになりました。彼はやがて、非戦思想、つまり戦争反対を子供たちに教えて、小学校をクビになってしまいます。そして、周囲の人々から「耶蘇」「国賊」と呼ばれて、石を投げられ、親からも勘当され、激しい迫害を受けました。そして、ついには長女の愛子ちゃんはヤソの子供と呼ばれ、腹を蹴られ、それが元で腹膜炎を起こし、わずか九歳の命で天に召されてしまいます。普通ならそんなことがあればもうどこか違う土地に行ってしまうところですが、宗次郎はそこで牛乳配達と新聞配達の仕事をはじめました。一日40キロの道を配達してまわりながらキリスト教の宣教をはじめたのです。十メートル行っては神に祈り、さらに十メートル歩いては感謝し、木陰や小川のほとりで祈りを捧げたといいます。配達を終わった後に宮沢賢治が勤めていた花巻農学校に立ちより、賢治と話し合うようになりました。斉藤宗次郎は配達の途中、子供たちに会えばアメ玉をやり、病気の人があればその枕元までいって慰めの言葉をかけるという日々を送っていました。斉藤宗次郎こそ、東に病気の子供あれば、行って看病してやり、西に疲れた母あれば、行ってその稲束を負いという、その後に続く詩にあるようなことを普通にやっていた人間でした。そういう斉藤宗次郎の生活ぶりを見ていた、宮沢賢治が、「本当はこういう人になりたかった」という思いをこめて、「雨ニモマケズ」という詩を書いたと言われています。
まさしく、この「雨にも負けず」に出てくる人間像は、斉藤宗次郎のお手本であるイエス・キリストの愛の御姿でした。ちなみに、「南に死にそうな人あれば、行って怖がらなくてもいいと言い」のあとはこのように続きます。・・・
北ニケンクワヤソシヨウガアレバ ツマラナイカラヤメロトイヒ ヒデリノトキハナミダヲナガシ サムサノナツハオロオロアルキ ミンナニデクノボートヨバレ ホメラレモセズ
クニモサレズ サウイウモノニ ワタシハナリタイ
永六輔さんは、お寺の息子でしたから、きちんとした仏教の知識はちゃんと持っておられました。なぜならば、「死にそうな人あれば怖がらなくてもいい」という個所に、声を出してそれ以上読めなくなったからです。それは、もともと、仏陀(お釈迦様)の教えには、死後の世界は入っていないからです。ちょっと昔、今東光という天台宗の立派なお坊さんがいました。ある人が、「死んだらどうなりますか?」と質問したそうです。そしたら、和尚は、「バカヤロウ!俺が知るか!」と怒鳴ったそうです。これは、少しもおかしくありません。このお坊さんは、正直に仏教の教えを語ったまででした。
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今日私に与えられた聖書のメッセージです。
ヨハネ5章28、29節『驚いてはならない。時が来ると、墓の中にいる者は皆、人の子の声を聞き、善を行った者は、復活して命を受けるために、悪を行った者は復活して裁きを受けるために出て来るのだ』・・・イエス様は、死について、なんとなく諦めている人間に、あるいは、不安にかられ泣き叫んでいる人に、「諦めなくていい」と声をかけられます。イエス様は、親しくしていたマルタとマリア、そして、ラザロの兄弟の家にいつも立ち寄られていました。ある時、『ラザロが危篤なので、すぐ来てください』との連絡が入ります。しかし、すぐには駆けつけられせんでした。なんと、死後4日経ってから、ラザロの元へと行かれました。当然、葬式が行われ洞穴の中へ葬られていました。マリアは、イエス様を見るなり足もとにひれ伏して、「主よ、もしここにいてくださいましたら、私の兄弟は死ななかったでしょうに」(ヨハネ11:32)と言いました。イエス様は、彼女が泣き、一緒に来たユダヤ人たちも泣いているの見て、心に憤りを覚え、興奮され、涙を流されました(同34,35節)。この時、なぜ、イエス様は、憤りを覚えられたのでしょうか?・・・それは、『死』対する憤りでした。また、この死に対する人間たちの諦めの態度と、いかにも死を悟ったように取り繕っている様子に、憤られたのでした。さらに、「死はまやかしであって、当たり前ではないことに目覚めなさい。あなたがたには、永遠に生きる尊厳と愛が備わっているのだ!」という覚醒へのメッセージの憤りと興奮もありました。特に私たち日本人は、昔から仏教文化のせいか、なんとなく悟りの境地とかを聞かされて『死』というものに対する諦めに似た思いがあります。グレーゾーンというか玉虫色にごまかして生きているところがあったりします。ですから、『死』を直視しないでお互いに避けて生きています。勿論、仏教の教え事態に、『死』の教えは無いので無理もないのかもしれません。しかし、聖書の中のイエス様の教えは、はっきりしています。『死』は、あってはならないもの、「人間の敵である」ときっぱり言います(Ⅰコリント15:26)。『死』に対する不満を持ち、死の原因となった『罪』に勝利する神の導きに従いなさいとイエス様は促されます。イエス様の十字架の死によって、私たちの罪の身代わりとなられました。そのイエス様を信じる信仰により、また、将来再びイエス様が来られる再臨の日に私たちは永遠の命に蘇えることができるのです。
神様は私たちの「死んだらどうなるのか?」という疑問にしっかりと答えてくださいます。『死を永久に滅ぼしてくださる。主なる神は、すべての顔から涙をぬぐい、御自分の民の恥を、地上からぬぐい去ってくださる。これは主が語られたことである。その日には,人は言う。見よ、この方こそ私たちの神。私たちは待ち望んでいた。この方が私たちを救ってくださる。この方こそ私たちが待ち望んでいた主。その救いを祝って喜び踊ろう』(イザヤ25章8~9節)。イエス様の大きな愛に従っていきたいものです。
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