降っても照っても!
- 耕司 大平
- 2022年9月10日
- 読了時間: 7分
2022年9月10日(土) 「降っても照っても!」 LT(Loving Time)大平耕司
これは、天国に行った時のお話と似ています。聖書の奥義を伝え、みごと信仰を持った友人にこのように言われるでしょう。「あなたに本当に感謝します。私のことを気にかけてくださったおかげで、私は今この天国にいることができるのです。あの時に、最初はあなたのことを拒否し、信じるどころかバカにしていたのです」。ノアのように愚直にも神様の言葉を信じ120年間、救いを訴え続けたにもかかわらず、結果は悲惨でした。ノアの家族以外の住民がすべて滅び去っていきました。
生涯をかけてこの使命を果たしたのが、賀川豊彦でした。彼は、1888年(明治21年)神戸市に、父親の愛人の子として生まれました。4歳の時に相次いで父母を亡くし、姉と共に徳島の本家で育てられます。血の繋がらない本妻と祖母に育てられますが、「妾の子」と周囲から陰口を言われるなど孤独な幼年時代を過ごしました。その後、16歳の時バプテスマを受けます。1909年(明治42年)に彼は神戸神学校の学生であった時、神戸新川のスラム街に引っ越しました。以後50年間一貫して彼は、牧師として宣教に従事しながら、貧民、労働者、農民の地位向上のために献身したのでした。彼は、「世界の賀川」「日本の賀川」と称され、四度もノーベル平和賞の候補に上がりました。評論家大宅壮一郎氏は賀川豊彦を評してこのように言いました。「明治、大正、昭和の三代を通じて、日本民族に最も大きな影響を与えた人物ベスト・テンを選んだ場合、その中に必ず入るのは賀川豊彦である。ベスト・スリーに入るかもしれない。賀川豊彦はその出発点である宗教の面は言うまでもなく、現代文化のあらゆる分野にその影響が及んでいる。大衆の生活に即した新しい政治運動、社会運動、組合運動、農民運動、協同組合など、およそ運動と名のつくものの大部分は、賀川豊彦に源を発していうと言っても言い過ぎではない。近代日本を代表する人物として、自信と誇りをもって世界に推挙しうる一人を挙げようということになれば、私は少しもためらうことなく、賀川豊彦の名をあげるであろう」。
彼は、日本の労働運動の先駆的指導者でしたが、彼にとって労働運動は単なる防貧運動、経済・賃金改善運動ではありませんでした。彼にとっては、労働運動は、あくまでも労働者の人間解放運動だったのです。彼は民主的な方法を重んじ、非暴力に徹しました。当時、力を得てきた無政府主義的傾向の活動家の批判の的になりましたが、彼はクリスチャンとして自分の信じる道に確固たる信念をもって歩んでいきました。彼は、社会運動家であるばかりでなく、詩人でもあり小説家でもあり、多彩な活動家でした。しかし、何にもまして、彼はクリスチャンであり伝道者でした。彼は活動の全期間を通じて牧師でした。彼は、全力を投入して「神の国運動」を全国に展開しました。この神の国運動は、明治以来の日本の伝道活動史上最も成功した運動と評価されています。この運動の中心が賀川豊彦でした。彼は自分の生き方を次のように歌に託しています。
「一枚の最後に残ったこの衣 神のためには なお脱がんぞと思う 神の国 一寸だにも拡げばや 千々に砕くる 我が身なりとも」
賀川豊彦は若き日にキリストに出会い、キリストにとらえられてしまった人でした。彼は、このキリストに従い、自らスラム街に入っていったのでした。彼は、「神の自らの位を捨てて、ナザレの労働者イエスとして、人間生活に入り込んだと言うならば、われわれが貧民窟に入って生活するくらいは何でもないことである」と述べて、「私は引きずられて行こう。ただもう贖罪者イエスの十字架を負わされて、世界の嘲馬(ちょうば)と怒号の中を、沈黙のまま静かに、カルヴァリーまで歩もう」との決意を語っています。71歳没!
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今日私に与えられた聖書のメッセージです。
マタイ26章64b節『…私は言っておく。あなたがたは間もなく、人の子が全能の神の右に座り、天の雲に乗って来るのを見る。』・・・イエス様が不当な罪状で捕らえられ、サンヒドリン最高法院で裁判にかけられた場面です。偽証人は、「この男は、『神の神殿を打ち倒し、三日あれば建てることができる』と言いました」と訴えました。これは、イエス様が公生涯の初めに過越しの祭りで言われたことでした。神殿の境内で牛や羊、鳩を売っている商人や両替人を見て憤慨され、「このような物は、ここから運び出せ。私の父の家を商売の家としてはならない」(ヨハネ2:16)と縄で鞭を作ってすべてを追い出されたことがありました。その時に、ユダヤ人たちが「あなたは、こんなことをするからには、どんなしるしを見せるつもりか」(ヨハネ2:18 )に答えて「神の神殿を打ち倒し、三日あれば建てることができる」と言われたものです。ユダヤ人のそれまでの神殿の儀式は、すべてイエス様の十字架での罪の贖いの犠牲を予表するものでした。人の罪の身代わりの子羊や牛など動物はイエス様の象徴だったのです。だから、イエス様が十字架にかかられ、三日後に蘇られることで、それまでの神殿の儀式がイエス様を信じる信仰へと変わることを示唆されたのです。その後に、「エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、自分に遣わされた人々を石で打ち殺す者よ、めん鳥が雛を羽の下に集めるように、私はお前の子らを何度集めようとしたことか。だが、お前たちは応じようとしなかった」(マタイ23:37)と嘆かれました。さて、今日の聖句ですが、イエス様の十字架への裁判中に、大祭司が黙っておられるイエス様に、「お前は神の子、メシアなのか」(マタイ26:63b)に答えて、「あなたがたは、間もなく、人の子が全能の神の右に座り、天の雲に乗って来るのを見る」と言われたものです。その時に、滅びの世界が永遠の世界に変わるのです。
何を信じるかで人の人生が大きく変わります。稲盛和夫氏は、クリスチャンになった西郷隆盛の「敬天愛人」の『天を敬う』を信奉し、神の価値観で生きることを決めていました。ノアは、神の言葉を信じ、それまで雨など降ったことなく、洪水も皆無だったのに、神の言葉に従い120年間箱舟を造り続け、その間、救いを語り続けました。神と共に生きることを決めていたからです。そして、賀川豊彦は、その人生の初期の高校生の頃、聖書のイエス様に出会い、すっかり人生が変わり、貧民や弱者の救済、労働や教育や組合など日本国の生活改善ために大きな改革を成し遂げ、キリスト教会の発展のために大切な働きに奉仕しました。これも、聖書の律法を基礎に置き、イエス様の愛に生きることに決め、その愛を実践したことによります。彼が設立した、今でも有名な組織は、私たちが良く知っているスーパーの生協(コープ:日本生活協同組合連合会)や、キリスト新聞社などがあります。・・私たちを取り巻く環境において、現実の社会生活にある程度妥協する必要があるのは、大人として理解しています。しかし、人間や世の世論は、自己中心にその源があるので、十分にその危険性も理解しておかなければなりません。間違いがないのは、イエス様に倣う事です。聖書ははっきりとアダムとエバが神の支配から逃れたことが、永遠に続く愛の関係から孤独の末、滅びに至った原因だと述べています。それは、彼らが神でもないのに、神のようになりたいと、独裁者願望に陥ったからです。イエス様は、天の父(神様)ファーストでした。「私の教えは、自分の教えではなく、私をお遣わしになった方の教えである」(ヨハネ7:16)とある通りです。その愛の関係は永遠の希望を生み出します。ですから、私たちもイエス様ファーストに歩む必要があります。人生において、いい時も悪い時も、常にイエス様の思いを第一にするのが、永遠の愛の命に繋がるのです。
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